2019年7月28日日曜日

新所原駅(東海道本線・二俣線)1980年

キハ11を見たくて、1980年3月、雑誌の情報を頼りに二俣線を訪れました。大垣夜行で行ったのは間違いないのですが、電車が165系だったのかどうかも全く記憶にありません。時期的に比較的近いと思われる76.10.1訂補の時刻表があったので、それを使って写真と記憶を繋ぎ合せて見る事にしました。

豊橋駅ホームです。今もホーム自体は残っていますが、一般客が降りる事は出来ません。

キハ20の室内です。

この列車は豊橋発5:17です。小型時刻表なので着時間は分かりませんが、新所原発は5:42になっているので、おそらく新所原での停車時間は15分位あったのだと思います。3両編成でした。ちょっとピンボケで構図も滅茶苦茶ですが、先頭はキハ20-36です。

バス窓のキハ20-36ですが、天イセとなっています。キハ10系置き換え用に伊勢市から転属してきた様です。

2両目はキハ20-299ですが、これもなにか半端な構図です。次の3両目はキハ25でした。

首都圏色のキハ25の車番は不明です。

ここで気動車を見る機会を増やす為に一旦列車を降りました。

時刻表によれば、この後、金指からの列車が2本、新所原着6:19と6:56着で到着します。
1本目の6:19着がこの一般色と首都圏色のキハ20x2両編成です。


一旦1番線に到着してからこの2番線に転線したのですが、1番線に停まっている時に模型の参考の為にと思って床下機器を撮っておきました。
こちらは良く見ると日立や三菱のマークが付いています。

DMH17縦型エンジンです。

温気式暖房機だと思います。

空気タンクは黒く塗られていました。

DT22台車とトイレ流し管です。

ちょっと変色した画像で恐縮ですが、連結器周りです。しかしながら、片側しか撮っておらず、その後、鉄道趣味からも模型からも長い期間、足を洗っていましたので、この写真が役に立つことはありませんでした。

その後は東海道線の列車を写しながら次の列車を待ちましたが、どれもまともに撮れていません。

EF65-1000が牽く上り寝台列車です。ヘッドマークはありませんでした。

あさかぜのテールマークがかろうじて読めますが、なぜか中央に文字が寄っちゃっている感じです。今はカシオペア位でしかもう見られない電源車です。

EH10牽引の下り貨物列車です。

続いてEF65ー0番台が牽く下り貨物列車です。

車掌車はあまり見かけたことがなかったヨ2000でした。(ブレている上に切れていますが。)

EF60か65か分かりませんが、上り貨物列車です。

次はクロスフィルターでヘッドライトが凄い事になっています。これはヘッドマークが付いていますが、あさかぜに見えます。

あさかぜは当時、2往復走っていた様ですが、ちょっと調べて見たところ、1980年には既に両方共、24系25形客車に置き換えられていた様です。最初の20系はヘッドマークもついていなかったので、臨時あさかぜ号だったのかも知れません。

そして最後は富士です。テールマークの文字は読めませんが、絵で分かります。跨線橋の昔のタイプの駅名標がいい感じでした(今でも同じタイプは上諏訪駅で見る事が出来ます)。それにしても、ブレたひどい写真ばっかりですが、40年近く前にこれらの列車を間近で見ていたのだという、個人的はとても貴重な記録でした。

6:56着のキハ17とキハ20の2両編成が来ました。キハ17-22は縦樋が正面に回り込んだ初期型です。

アップで撮ったところです。

後ろ半分です。

2番線に停まっていた先程の6:19着のキハ20x2両編成の遠江二俣寄りに、このキハ17とキハ20の2両編成が連結されました。画像の遠くに見える、東海道線の上下線を跨ぐオーバーパスを通って、遠江二俣からの首都圏色4両編成が7:20に豊橋に向けて出発すると、こちらの4両編成も7:26発で掛川に向けて出発しました。

やっと1980年3月の、朝の新所原駅の二俣線気動車の様子が解明出来ました。