ラベル 高山本線②美濃太田-焼石 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 高山本線②美濃太田-焼石 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年9月23日土曜日

焼石駅(高山本線)町並み散歩

 焼石駅周辺を散歩しました。

現在の地名は下呂市焼石ですが、かつては中原村といい、1955年に近隣の町村と合併して益田(ました)郡下呂町、そして2004年に再度合併して下呂市になったそうです。

飛騨川左岸の段丘上に70数世帯、人口は200人少々が住んでいるそうです。

日中の高山本線は列車本数が少ないのですが、乗って来た下り列車到着後、約45分で次の上り列車があります。


静かな町です。

素敵な佇まいの民家があります。

こちらは新聞販売店です。岐阜新聞、中日新聞、中日スポーツ、朝日新聞等の看板がかかっています。そうとうあやふやな情報ですが、岐阜新聞と中日新聞は非常に仲が悪いそうです。

中原郵便局です。

飛騨川のほとりに行ってみました。川霧がたっています。

下流にある下原ダムの影響か川幅は広く、結構な水量があります。

元の道に戻ります。

この先には小学校や駐在所がある様です。

上り列車の時間があるので、この辺りで引き返して駅に向かいました。

僅かな滞在時間でしたが、なかなか雰囲気の良い町並みでした。


2023年9月9日土曜日

飛騨金山駅(高山本線)曇り HC85系ひだ

 飛騨金山駅、3度目の訪問です。晴れ、雨と来て今回は曇りでした。Wikipediaの2011年の写真だと屋根は黒に近いこげ茶色に塗られていますが、かなり退色して今の色になったのでしょう。2010年頃より前は赤茶色だった様です。

トイレも跨線橋も以前のままです。

入り口に木彫り駅名標が取り付けられています。

こちらはホーム側についている駅名標です。左側に←これより美濃路・これより飛騨路→の看板があります。

跨線橋と上りホームの上屋は白川口駅と同型に見えます。

緩くカーブしたホームが良い感じです。

跨線橋から美濃太田方向を見たところです。

下呂・高山方向です。

遠くの方に保線車両上屋がある辺りに駐泊所があったのだと思われます。岐阜-飛騨金山間をC58、飛騨金山ー高山間がD51、高山-富山間は9600が活躍していたそうです。

飛騨金山駅の貨物取扱は1978年に廃止されたそうですが、インターネット上で貨物取扱時代の貴重な画像を拝見する事が出来ました。

機関支区の置かれていた拠点駅なので、駅舎も比較的大きめです。

上りホーム上の待合室は昭和3年の開業時からものです。

駅舎右側のちょっと近代的な大型のホーム上屋は荷物扱いを行っていた当時のものだと思いますが、キユニの連結位置は編成の一番美濃太田寄りだった様です。

下り高山行き普通列車、キハ25 0番台です。

出発して行きました。

高山線で活躍してきた歴代のどんな列車も似合いそうな、良い感じのプラットホームです。

先ほどの普通列車が出発してから12分後に上りひだ号が到着します。おそらく福来信号所で交換してきたのでしょう。

HC85系です。2019年に試作車が登場してから4年。そのうち、このスタイルも見慣れてくるのでしょう。


2023年8月19日土曜日

飛騨金山駅(高山本線)市街地散歩 

 8年ぶりに飛騨金山の町中を散歩する事にしました。前回来た時に飛騨街道金山宿の写真を全く撮っていなかった事がちょっと心残りだったので再訪しました。天気はいまひとつです。

岐阜県道438号線飛騨金山停車場線突当りを右折してクランク状に進みます。

いい感じの食料品店ですが、もう営業していない様です。


土蔵風の建物があります。

写真では分かりづらいのですが、こちらの建物は窓桟の角にRが付いた凝った造りです。

ちょっと先から振り返ってみたところです。

今度は左折すると遠くに金山橋が見えてきました。

こちらは大船渡ダムから中部電力大船渡発電所への導水路をまたぐ橋です。

右手は上流のダム側です。川をまたぐ鉄塔に電線が張られています。

下流すぐ近くにある発電所からダムに送電している様です。

金山町観光協会のパンフレットによれば、昭和40年代の最盛期には駅から飛騨街道までまるで上海の様な賑わいだったそうです。


金山橋に出ました。ちょっと変わった形の橋は”分格ワーレントラス”だそうですが、いまひとつ良くわかりません。制限速度は僅か30km/hです。ちなみに「金山橋」を検索すると鹿児島にある金山橋(きんざんばし)というアーチ石橋が出てきます。そちらの方が有名な様です。

右手から流れてくるのが飛騨川、左手から合流してくるのが馬瀬川です。


橋を渡ると道路沿いの建物になんとなく賑やかだった頃の名残りが感じられます。この辺りは橋本町商店街というそうです。

更に先に進みます。

飛騨街道に出ました。

左手が飛騨街道金山宿です。

この後、金山宿と劇場通りを散歩してから駅に戻りました。

この辺りは縄文時代から人が住んでおり、様々な物資の集散地として発展してきたそうです。


2004年に近隣の町村と合併して下呂市になりました。

金山町の中央部は多くの家々がありますが、面積の90%は山林だそうです。