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2021年4月18日日曜日

勝田駅(ひたちなか海浜鉄道)キハ222

ひたちなか海浜鉄道勝田駅にてキハ222です。廃車後、阿字ヶ浦駅に留置されているという記事を見ましたが、今もあるのでしょうか。

クリームとオレンジに変わる前の国鉄旧一般色です。たまに見かける写真とは少し色調が違う気がしますが、そもそも実物を見た事がないので、実際のところは分かりません。

昔からの青いモケット地のシートと板張りの床が素敵な車内の様子です。よく見ると扇風機はなかった様です。

2021年2月10日水曜日

南橋本駅(相模線)キハ10+キハ20

 おそらく南橋本駅だと思います。キハ10+キハ20の好ましい組み合わせです。


2020年3月29日日曜日

橋本駅(相模線)キハ10・キハ20・キハ30

40年位前の橋本駅です。

”茅ヶ崎⇔橋本”のサボと車番です。Hゴム窓の上に旧塗装の塗り分け線がうっすらと見えます。

キハ20も活躍していました。

助手席上部にタイフォンが取り付けられた、北陸から来たキハ30です。

キハ30 25でした。

2両目はキハ10 50でした。

キハ10 50は室内灯が蛍光灯になっていました。

まだ京王相模原線の建設が始まる前、橋上駅舎化工事中の橋本駅でした。今気付きましたが、当時の相模線の気動車は先頭でも渡り板を跳ね上げずに、いつも下げたままだった様です。

2019年11月17日日曜日

橋本駅(相模線)夜 キハ10・20

橋本駅です。このキハ10の室内灯は白熱灯です。

ピンボケ写真なのでどうしようもないのですが、シャープネスとか色合いとかを少し補正しておきました。

このキハ10も室内は白熱灯です。相模線のキハ10は1980年に引退したそうです。

2019年11月10日日曜日

豊橋駅(東海道本線・二俣線)40年前

豊橋駅です。新幹線の車窓からです。二俣線のキハ10が留置線に見えます。遠くの貨車にはテム300の姿が見えます。

これも下り列車の車窓です。正面の近郊型電車はグローブ形ベンチレーターなので、111系です。奥の方に二俣線のキハ20が見えます。

2019年10月12日土曜日

那珂湊駅(ひたちなか海浜鉄道)国鉄色気動車

十年前位の那珂湊駅です。茨城交通色のキハ2005です。

手前に旧国鉄気動車色のキハ222、車庫にはキハ3710が見えます。

阿字ヶ浦行きのキハ223です。

ケキ102です。2005年には既に廃車になっていたそうです。その後、北陸の方に運ばれて修復された記事を見ましたが、最近の消息はちょっと分かりませんでした。

那珂湊と中根の間です。後ろ向きですが、踏切作動灯があります。

急行色が登場してまもなくです。

国鉄色が勢ぞろいしていました。なぜか2両目のキハ205だけの写真は撮っていませんでしたが、こちらは今も現役の様です。

スカ色のキハ222です。現在も阿字ヶ浦駅に保管されているそうです。

急行色のキハ2005です。前の年にはまだ茨城交通色でした。こちらも阿字ヶ浦駅で保管されているそうです。

準急色のキハ2004。こちらは平成筑豊鉄道で動態保存されているそうです。

少し離れた場所には廃車になったキハ203が首都圏色に塗られて置いてありました。

2019年8月22日木曜日

茅ヶ崎駅(相模線)DE10、キハ10・20・30

40年位前の茅ヶ崎駅です。

キハ10です。

こちらはキハ20のバス窓初期型です。

駅の南側から茅ヶ崎機関区です。

キハ10-23です。屋根が低いので扇風機取り付け部分に付けられたカバーが屋根上に飛び出しています。右側の車両は出入り口ドア上の通風機が四角い、キハ10-41以降のタイプです。

首都圏色1灯白熱灯のキハ35です。

北陸タイプのタイフォンが付いたキハ35と茶こし状のタイフォンカバーが付いたキハ20です。

なぜかマニ36を撮っていました。

EF58と茶色い荷物車とEF65の並びはカラー写真だったらなかなか良い感じだったでしょう。

事故車の113系が回送されていくところです。

2019年7月28日日曜日

新所原駅(東海道本線・二俣線)1980年

キハ11を見たくて、1980年3月、雑誌の情報を頼りに二俣線を訪れました。大垣夜行で行ったのは間違いないのですが、電車が165系だったのかどうかも全く記憶になりません。時期的に比較的近いと思われる76.10.1訂補の時刻表があったので、それを使って写真と記憶を繋ぎ合せて見る事にしました。

豊橋駅ホームです。今もホーム自体は残っていますが、一般客が降りる事は出来ません。

キハ20の室内です。

この列車は豊橋発5:17です。小型時刻表なので着時間は分かりませんが、新所原発は5:42になっているので、おそらく新所原での停車時間は15分位あったのだと思います。3両編成でした。ちょっとピンボケで構図も滅茶苦茶ですが、先頭はキハ20-36です。

バス窓のキハ20-36ですが、天イセとなっています。キハ10系置き換え用に伊勢市から転属してきた様です。

2両目はキハ20-299ですが、これもなにか半端な構図です。次の3両目はキハ25でした。

首都圏色のキハ25の車番は不明です。

ここで気動車を見る機会を増やす為に一旦列車を降りました。

時刻表によれば、この後、金指からの列車が2本、新所原着6:19と6:56着で到着します。
1本目の6:19着がこの一般色と首都圏色のキハ20x2両編成です。


一旦1番線に到着してからこの2番線に転線したのですが、1番線に停まっている時に模型の参考の為にと思って床下機器を撮っておきました。
こちらは良く見ると日立や三菱のマークが付いています。

DMH17縦型エンジンです。

温気式暖房機だと思います。

空気タンクは黒く塗られていました。

DT22台車とトイレ流し管です。

ちょっと変色した画像で恐縮ですが、連結器周りです。しかしながら、片側しか撮っておらず、その後、鉄道趣味からも模型からも長い期間、足を洗っていましたので、この写真が役に立つことはありませんでした。

その後は東海道線の列車を写しながら次の列車を待ちましたが、どれもまともに撮れていません。

EF65-1000が牽く上り寝台列車です。ヘッドマークはありませんでした。

あさかぜのテールマークがかろうじて読めますが、なぜか中央に文字が寄っちゃっている感じです。今はカシオペア位でしかもう見られない電源車です。

EH10牽引の下り貨物列車です。

続いてEF65ー0番台が牽く下り貨物列車です。

車掌車はあまり見かけたことがなかったヨ2000でした。(ブレている上に切れていますが。)

EF60か65か分かりませんが、上り貨物列車です。

次はクロスフィルターでヘッドライトが凄い事になっています。これはヘッドマークが付いていますが、あさかぜに見えます。

あさかぜは当時、2往復走っていた様ですが、ちょっと調べて見たところ、1980年には既に両方共、24系25形客車に置き換えられていた様です。最初の20系はヘッドマークもついていなかったので、臨時あさかぜ号だったのかも知れません。

そして最後は富士です。テールマークの文字は読めませんが、絵で分かります。跨線橋の昔のタイプの駅名標がいい感じでした(今でも同じタイプは上諏訪駅で見る事が出来ます)。それにしても、ブレたひどい写真ばっかりですが、40年近く前にこれらの列車を間近で見ていたのだという、個人的はとても貴重な記録でした。

6:56着のキハ17とキハ20の2両編成が来ました。キハ17-22は縦樋が正面に回り込んだ初期型です。

アップで撮ったところです。

後ろ半分です。

2番線に停まっていた先程の6:19着のキハ20x2両編成の遠江二俣寄りに、このキハ17とキハ20の2両編成が連結されました。画像の遠くに見える、東海道線の上下線を跨ぐオーバーパスを通って、遠江二俣からの首都圏色4両編成が7:20に豊橋に向けて出発すると、こちらの4両編成も7:26発で掛川に向けて出発しました。

やっと1980年3月の、朝の新所原駅の二俣線気動車の様子が解明出来ました。