2031編成と2409編成が運用に入っていた日、天気が良いので恋ヶ窪から鷹の台まで久しぶりに歩く事にしました。
上り国分寺行きです。
ところが恋ヶ窪駅で列車交換したクモハ2409先頭の列車が来た時には日が陰ってしまいました。
タイミングが悪かった様です。
この辺り、架線柱が交換され、アングル1本ビームから伝統的な組みアングルタイプに変わりました。
2031編成と2409編成が運用に入っていた日、天気が良いので恋ヶ窪から鷹の台まで久しぶりに歩く事にしました。
上り国分寺行きです。
ところが恋ヶ窪駅で列車交換したクモハ2409先頭の列車が来た時には日が陰ってしまいました。
タイミングが悪かった様です。
この辺り、架線柱が交換され、アングル1本ビームから伝統的な組みアングルタイプに変わりました。
国分寺駅の西側で中央線・西武国分寺線の線路を跨ぐ道路橋です。
花沢橋です。
西国分寺側から見たところです。
前パンクモハ2409を先頭にした国分寺線下り電車です。
中央線は複線、国分寺線は単線です。
中央線上り電車が来ました。
下り特急E353系電車です。
国分寺線上り電車が到着しました。
国分寺駅方向です。中央線は快速と特別快速の緩急接続の為に2面4線、国分寺線ホームは島式1面2線化出来るスペースがありますが、おそらくずっと1面1線のままの様です。
昔の中央線ホームは1面2線で別に下河原線ホームがありました。見た事のないクモハ40単行とか東京競馬場行きの臨時101系電車を思い浮かべてみます。
子供の頃、自転車でやってきて、多摩湖線のカーブした短いホームを見て満足し、ここまで来ずに帰った覚えがあります。
恋ヶ窪駅です。国分寺行き新2000系4連+初期型2連、後追いです。
折り返し東村山行きがやってきました。ちょっと不自然な勾配は武蔵野線の小平トンネル入り口を真下に建設した際に国分寺線の線路を少し嵩上げしたのではないかと思われます。
逆光で真っ暗だった正面を無理に明るくしてみました。下り東村山行きです。
クモハ2409とクハ2410です。
上り国分寺行きと交換します。
新2000系も少しずつ廃車が進んでいる様です。
鷹の台方向です。
次の国分寺行き新2000系更新車が来ました。
国分寺線は日中、必ず小川駅で列車交換があります。国分寺行き最後尾はクモハ2409でした。
次の列車交換時、東村山行きは2031編成でした。
国分寺から戻ってきた2409編成と東村山から戻って来た2031編成です。
2031編成が引退し、残りの2000系初期型は2両編成3本だけになりました。
グローブベンチレーター、野球ボール西武マーク付きの2409編成です。
本線から切断されて残されていた貨物側線跡は自転車置き場になり、その向こう側には大きな建物が出来る様です。
国分寺から西国分寺に向かって直線距離で約500メートル。西武国分寺線が中央線から離れてゆく辺りから国分寺駅北口の高層ビルを見たところです。この辺りの地形は結構起伏に富んでおり、築堤の前後は国分寺側も西国分寺側も切通になっています。
中央線E233系上り電車です。
西武2000系初期型を連結した国分寺線上り電車に中央線上りE233系電車が被ってしまいましたが、並走する姿もこれはこれでよい感じです。
下り電車です。行き先表示LEDが写真ではなかなか読めないタイプです。
先ほどの国分寺線電車が下り東村山行きになって折り返してきました。背後の森は日立中央研究所です。
下り特急E353系電車です。
次の国分寺行きは新2000系電車でした。
ちなみにちょっと調べてみると、豊かな緑に囲まれた日立中央研究所がこの場所に創立されたのは戦時中の昭和17年(1942年)のことだそうです。
101系、165系、115系や181系電車、EF13や15が牽く貨物列車、西武の赤電が行き交う頃にこの場所に立って見たかったものです。
近くにあった中央鉄道学園にその昔自転車で行って、キヤ92を見た覚えがあります。
先ほどの折り返しの国分寺線が来る前になんとか通り過ぎましたが、新2000系先頭部が架線柱の影に入ってしまいました。
またE233系下り電車です。
上り電車です。思い出してみれば、昔の101系電車もE233系と同様に珍しくもなんともない空気の様な存在でした。
この日は先ほどの初期型2両編成連結編成と共に最後の初期型6両2031編成が国分寺線運用に入っていました。
後追いはちょっと被られてしまいました。
国分寺で折り返して来た東村山行きです。
2031編成は新宿線や拝島線で新2000系4両編成と組んで10両急行運用に入っていると思えば、日中の拝島線小平-玉川上水区間運用や国分寺線運用に入っていたりと神出鬼没です。(他の6連も同様なのでしょうが)
走り去って行きました。
日立中央研究所内の湧水を源流とする野川が近くを流れていました。随分と小さな流れでした。