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2025年6月5日木曜日

魚津駅(あいの風とやま鉄道)

 魚津(うおづ)駅です。読み方は「うおつ」ではなく「うおづ」でした。歩道にシェルターが付いていて、駅舎があまり良く見えません。

広い駅前ロータリーです。駅の標高は13メートルでした。

魚津の乗車人員は富山、高岡、小杉に次ぐ、富山県内第4位です(2022年1784人/日)。

駅から正面を見たところです。

1番線と2番線の間に中線を持つ2面3線の駅です。

機関車+12両編成の客車列車が走っていた名残りでとても長いプラットホームでした。

但し、今はもう長編成の列車は走っていないので、ホームは2本共、途中に柵が設置されてその先には入れなくなっています。

滑川、富山方向です。遠くの線路右側に何か特別そうな大きな木が見えます。気になってグーグルマップのストリートビューで見たら、住宅街に大木が2本立っているだけでした。

駅舎は後ろ下がりの片流れ屋根です。


黒部、泊方向です。黒部・泊方向です。”懐かしい駅の風景~線路配線図とともに”の記事を拝見すると1979年には右手のホテルの向こう側に貨物駅がありました。今もオフレールステーションとして貨物取扱いを行っている様です。

海側には富山地方鉄道の新魚津駅があります。

側線が沢山残っていました。

一番海側の側線から富山地方鉄道と平面交差して日本カーバイト専用線が伸びていました。工場を一周回って戻ってくるかなり大規模な引き込み線だった様です。


蜃気楼は3月下旬から6月上旬がシーズンと書かれています。

1番線の富山方には保線基地がありました。

日中は1時間辺り1~2本、朝夕は3~4本の列車が走っており、金沢まで直通する列車も割とある様です。

上り貨物列車が来ました。自分の中では北斗星色のEF510との遭遇率が高い気がしますが、赤い方が写真映りが良いと思います。

モーダルシフトが進んで貨物列車が増えると線路使用料が増えて、第三セクターの経営安定化に繋がります。

泊行きの下り列車が来ました。


2025年5月29日木曜日

泊駅(あいの風とやま鉄道)

 泊(とまり)駅、標高15メートル、海岸線からの距離は約1.2kmです。

あいの風とやま鉄道の電車が間もなく泊駅に到着します。

2番線に停車中のえちごトキめき鉄道日本海ひすいラインのディーゼルカーと縦列停車します。

あいの風とやま鉄道とえちごトキめき鉄道の境界駅は市振ですが、運転上の境界駅は泊になっていました。ここから日本海ひすいラインのディーゼルカーに乗り換えます。

あいの風とやま鉄道から日本海ひすい線の糸魚川まで直通する1往復は下り1番線と上り3番線を使用しますが、それ以外は2番線で平面乗り換えになっているそうです。

構内は広くて側線も一部残っていますが、貨物取扱いは1972年に廃止になっていました。

駅の南側には大きな飲料工場があります。

入善・富山方向を見たところです。

越中宮崎・市振方向です。

格闘技のヘッドギアを着けた様な面構えの電車です。

地図を見ると駅は市街地の南端にありました。

JR時代には一部の特急が停車していたそうです。

2番線に行くのがちょっと面倒くさい感じでした。

羽越本線の村上駅に似た運転形態ですが、1番線が下り本線なので停車する列車は2番線のほうが都合が良いのでしょう。

トキ鉄ET122形気動車に初乗りです。

間もなく発車します。


2025年5月21日水曜日

粉河駅(和歌山線)

 粉河(こかわ)駅です。所在地は和歌山県紀の川市。平日は当駅始発の和歌山行きが1日9本ある主要な駅ですが、土休日は朝方を中心に列車本数がかなり減ります。和歌山からは10駅目です。

粉河寺の門前町として栄え、かつては那賀郡粉河町でしたが、2005年に那賀郡の5町が合併し、紀の川市になりました。

駅舎内には保線区の事務所がありますが、常駐ではない様です。

いかにも昭和30年代という駅舎はさいきの駅舎訪問HPによると1955年(昭和30年)に改築されたものだそうです。

2面3線の駅です。上り本線が1番線、下り本線が3番線、和歌山方面への折り返し電車は2番線を使用するのが基本だそうです。

かなり古いタイプの跨線橋です。

跨線橋に直接手書きされた駅名が良い感じです。

上りホーム側も同様です。

橋本方向です。駅の標高は海抜42メートルでした。

側線にはしっかりしたホームがあってバラストの積み込み等が出来る様です。

駅北側には新しい建物が多めです。

国道24号線、紀ノ川方向です。

五条行きの電車が来ました。

走り去って行きます。

折り返し列車のある駅ですが、2023年に無人化されたそうです。

昭和30年代風の鉄筋平屋駅舎とかなり古い跨線橋の組み合わせが面白い感じでした。