武蔵溝ノ口駅の登戸寄りにある大山街道踏切です。
快速立川行きが通り過ぎて行きました。
武蔵小杉から登戸の間は東急東横線、第三京浜、東急田園都市線、東名高速、小田急線との立体交差が続くので、既に高架化されている武蔵中原・武蔵新城周辺以外の南武線の立体交差化は難しい様です。
線路脇にある溝の口駅西口商店街です。
戦後の闇市を起源とした有名なレトロ飲み屋街だそうでネット検索すると沢山の記事が出て来ます。
駅側から見たところです。
武蔵溝ノ口駅の登戸寄りにある大山街道踏切です。
快速立川行きが通り過ぎて行きました。
武蔵小杉から登戸の間は東急東横線、第三京浜、東急田園都市線、東名高速、小田急線との立体交差が続くので、既に高架化されている武蔵中原・武蔵新城周辺以外の南武線の立体交差化は難しい様です。
線路脇にある溝の口駅西口商店街です。
戦後の闇市を起源とした有名なレトロ飲み屋街だそうでネット検索すると沢山の記事が出て来ます。
駅側から見たところです。
西国立(にしくにたち)駅です。標高78メートルです。
下り電車で終点立川まではあと一駅です。
上り川崎行きです。
対向式2面2線のホームを跨線橋が結んでいます。
出入口は上りホーム側に1箇所です。
跨線橋から矢川方向を見たところです。南側、ちょっと南南東寄りです。
立川方向です。北側。ちょっと北北西寄りです。右側のマンションの場所に昔、立川機関区がありました。
上り貨物列車が通り過ぎました。
改札を出て南側の踏切に向かう途中で振り返ったところです。
上野原第一踏切です。
矢川方向です。
駅方向です。ネット上で「立川機関区」を検索すると、沢山の貴重な記録を拝見する事ができます。
地上駅舎が残っているという事で今回、初めて来てみました。
谷保駅西側から立川駅までの高架化計画があります。着工まで5年、工事に13年位かかるそうです。地下化案もあったそうですが、工費が2倍かかるのと廃止される踏切が多いので、高架化に決まったそうです。
浜川崎駅です。保線モーターカーは健在でした。ネットで”浜川崎 モーターカー”で検索すると沢山の記事を拝見する事が出来ます。
モーターカーは1966年の富士重工製。58年前です。
以前はドアのところに”大船保線区404”と書かれていたのが、2020年に塗り潰されたそうです。
自分が初めて見たのは2016年でしたが、今から35年以上前の1988年には既にここに置かれていたという記事がありました。
2023年9月から南武支線で活躍を始めたE127系電車が到着しました。1995年の登場からもう30年です。
前面・側面の行先方向幕はおそらく南武支線用に新調されたのでしょう。
新潟から転入したE127系0番台は2編成なので、予備車として205系が1編成残っているそうです。E127系に統一するとしたら、もう1編成は松本から100番台転属か、えちごときめき鉄道から0番台復籍でしょうが、きっとその前に燃料電池電車に置き換えかも知れません。
川崎市では南武支線周辺の居住地域の鉄道軸強化を進めて行くそうなので、将来は南部支線のホームを延長して、鶴見線3両編成と共通運用にするのかも知れません。
扇町寄りのヤードにDD200が見えました。浜川崎駅をこのヤード側に移転して鶴見線の駅と南武支線の駅を統合する計画があるそうです。
DD200が動き出しました。安善から新鶴見への単機回送です。
ちなみに浜川崎―扇町間は2020年に石炭輸送列車が廃止になった後はもう貨物列車は走っていないと思っていましたが、専用コンテナを使用したリニア残土輸送列車が梶ヶ谷-扇町間に設定されているそうです。
新鶴見のDD200は愛知機関区所属で、主に安善入換、横田基地専用線、越中島支線、横浜線八王子-長津田間の東急線車両回送に使われています。
そろそろ尻手行きの電車が出発する時間です。
2023年8月から橋上駅舎化された稲田堤駅です。当初は南口のみ使用され、旧地上駅舎があった北側の出口は2024年6月から使用開始されたそうです。
下りホームから中野島方向を見たところです。
対向式ホーム2面2線です。ホームドア稼働間近でした。
開放的な作りの大屋根の下に改札口に向かう階段があります。
階段途中からホームを見たところです。
割と珍しい気がするグレー一色の建物です。出入口階段屋根の雪止め金具が目立ちます。
気になる踏切名ですが、ネット上に沢山の記事がありました。「観光道」はここから桜の名所だった多摩川の堤防に続く道の事だそうです。
踏切から南側を見たところです。
快速立川行きです。京王相模原線京王稲田堤との乗り換え駅稲田堤は快速停車駅。京王の駅までは徒歩300メートルです。
上り川崎行きも来ました。
駅の標高は28メートルです。
矢野口方向です。
旧駅舎時代の様子はこちらです。⇒稲田堤 旧地上駅舎