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2023年7月23日日曜日

高崎駅(上信電鉄)デハ204

 高崎駅構内に留置されているデハ204です。写真は2021年に撮ったものですが、更に色が褪せた状態で今でも同じ場所に置いてある様です。


2023年5月28日日曜日

高崎駅(上信電鉄)

 ちょっと前の上信電鉄高崎駅です。再訪です。

上信電鉄へは2023年から27年の間に国・群馬県・沿線市町村が合計18.5億円の支援をするそうです。

2番線のE233系電車です。

2023年3月ダイヤ改正で引退した651系電車です。

ホーム端から進行方向を見たところです。

まもなく下り電車が来る時間です。一部の時間帯を除いて概ね1時間に2本の列車本数です。

旧上信電鉄標準色の700形705編成が来ました。

2017年にJRから購入し、2019年から営業運転を開始しました。

700形は現在5編成が活躍中でまだまだ主力として当分の間活躍しそうです。

構内に留置されていたデハ204です。その後、ニュースを聞きませんが、今もこのままでしょうか。


2022年10月5日水曜日

上州七日市駅(上信電鉄)

 上州七日市(じょうしゅうなのかいち)駅です。

旧上電標準色の700形電車です。それぞれ色が違う700形電車5編成ですが、個人的にはこの塗色が一番のお気に入りです。

下仁田に向けて走り去って行きました。

片面ホーム1面1線の駅です。

上州富岡・高崎方向です。

2019年に改装された良い感じの駅舎です。

駅東側の入口です。

南側正面の出入口です。

ホーム外れの下仁田側に小さな第4種踏切がありました。

駅舎に増設された部分を西側から見たところです。

きれいに整備された駅前です。きっと自治体からも費用が出ているのだと思います。


2022年9月10日土曜日

上信電鉄700形・JR東日本107系電車

 高崎を中心に活躍していた107系100番台ですが、幸いな事に5編成が今でも上信電鉄で活躍中です。高崎駅構内にて700形705編成(元R14編成)です。JRから上信電鉄に譲渡された107系はすべて2次車です。

下仁田駅にて703編成(元R15編成)です。

上信電鉄高崎駅構内にて、704編成(元R16編)です。

上信電鉄に譲渡された6編成のうち、元R8編成は部品取り車となっており、JR時代の車番のまま、上信電鉄高崎駅構内に留置中でした。

こちらはもう10年位前、上越線水上駅の下り方引き上げ線にて待機中の4両編成です。手前側はR5編成です。

両毛線前橋駅に到着したR10編成です。側面に群馬DCステッカーが貼られています。

高崎駅を発車したR16編成信越線横川行きです。こちらは現在もJR色の上信電鉄704編成です。

新前橋方から高崎駅に到着する107系電車です。回送表示です。

新前橋駅ホーム脇の高崎車両センターで車輪削正中のR1編成です。

前橋方から両毛線高崎行き電車が新前橋に到着するところです。

上越線水上行きR9編成です。改めて調べて見ると、JR東日本の107系電車が登場したのはJR化後の事で1988年から1991年まで製造されたそうです。

こちらも新前橋駅にてR3編成長毛船小山行きです。

両毛線伊勢崎行き4両編成です。

後ろ寄り2両は100番台1次型R1編成でした。

前寄り2両は2次型のR7編成です。

ナンバーが面白いので撮っておきました。R7編成は現在、上信電鉄701編成としてクリーム色と緑色で活躍しています。

廃車前、高崎駅-高崎問屋町間の側線で、8両編成で疎開されていた時の姿です。


念の為、探してみたらあとR19編成(新前橋)と

R5編成(高崎車両センター)が見つかりました。


吾妻線中之条駅での画像が最後です。



2022年7月31日日曜日

千平-下仁田(上信電鉄)赤津信号所

 下り電車でまもなく千平駅です。辺りはかなり山深くなって来ました。

千平駅はホーム1本と待合室だけの小さな駅です。

ホーム先端部は随分狭くなっています。


下仁田に向かう途中の赤津信号所です。交換列車が停まっていました。

終点の下仁田駅までわずか2.6km程の位置にある信号所ですが、運転上欠かせないのでしょう。

間もなく下仁田駅です。

これは上り列車の車窓から見た風景です。有名な下仁田ネギの畑がありました。

千平-下仁田間は山深く急カーブが続きます。養蚕業者の反対で山間部を通る事になったそうです。

但しそれほど勾配がきつい訳ではなく、距離3.8kmの間の高低差は20m程度です。

鏑川を渡る橋の右手は下仁田町、左手は富岡市です。

何年か前に下仁田からここまで電車で往復した事がありました。当時もこの時も、この区間はワイルドな乗り心地でした。⇒下仁田-千平 約15年前