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2019年11月10日日曜日

豊橋駅(東海道本線・二俣線)40年前

豊橋駅です。新幹線の車窓からです。二俣線のキハ10が留置線に見えます。遠くの貨車にはテム300の姿が見えます。

これも下り列車の車窓です。正面の近郊型電車はグローブ形ベンチレーターなので、111系です。奥の方に二俣線のキハ20が見えます。

2019年7月28日日曜日

三ヶ日-金指(二俣線)1980年 キハ17

1980年、新所原から遠江二俣に向かいました。乗車していたキハ17-22の室内です。室内灯は白熱灯、椅子は初期型の背もたれが低いタイプでした。

トイレ側です。

三ヶ日駅かと思いましたが、今は浜名湖をこんなに近くには見る事が出来ません。違う駅かと思ってGoogle Mapで調べて見ましたが、それらしい駅は見つかりませんでした。

佐久米駅、現在の浜名湖佐久米駅です。

金指駅だと思います。

当時はDE10重連の貨物列車が走っていました。

構内にあった転車台です。昔はC58が使っていたのでしょう。

新所原駅(東海道本線・二俣線)1980年

キハ11を見たくて、1980年3月、雑誌の情報を頼りに二俣線を訪れました。大垣夜行で行ったのは間違いないのですが、電車が165系だったのかどうかも全く記憶になりません。時期的に比較的近いと思われる76.10.1訂補の時刻表があったので、それを使って写真と記憶を繋ぎ合せて見る事にしました。

豊橋駅ホームです。今もホーム自体は残っていますが、一般客が降りる事は出来ません。

キハ20の室内です。

この列車は豊橋発5:17です。小型時刻表なので着時間は分かりませんが、新所原発は5:42になっているので、おそらく新所原での停車時間は15分位あったのだと思います。3両編成でした。ちょっとピンボケで構図も滅茶苦茶ですが、先頭はキハ20-36です。

バス窓のキハ20-36ですが、天イセとなっています。キハ10系置き換え用に伊勢市から転属してきた様です。

2両目はキハ20-299ですが、これもなにか半端な構図です。次の3両目はキハ25でした。

首都圏色のキハ25の車番は不明です。

ここで気動車を見る機会を増やす為に一旦列車を降りました。

時刻表によれば、この後、金指からの列車が2本、新所原着6:19と6:56着で到着します。
1本目の6:19着がこの一般色と首都圏色のキハ20x2両編成です。


一旦1番線に到着してからこの2番線に転線したのですが、1番線に停まっている時に模型の参考の為にと思って床下機器を撮っておきました。
こちらは良く見ると日立や三菱のマークが付いています。

DMH17縦型エンジンです。

温気式暖房機だと思います。

空気タンクは黒く塗られていました。

DT22台車とトイレ流し管です。

ちょっと変色した画像で恐縮ですが、連結器周りです。しかしながら、片側しか撮っておらず、その後、鉄道趣味からも模型からも長い期間、足を洗っていましたので、この写真が役に立つことはありませんでした。

その後は東海道線の列車を写しながら次の列車を待ちましたが、どれもまともに撮れていません。

EF65-1000が牽く上り寝台列車です。ヘッドマークはありませんでした。

あさかぜのテールマークがかろうじて読めますが、なぜか中央に文字が寄っちゃっている感じです。今はカシオペア位でしかもう見られない電源車です。

EH10牽引の下り貨物列車です。

続いてEF65ー0番台が牽く下り貨物列車です。

車掌車はあまり見かけたことがなかったヨ2000でした。(ブレている上に切れていますが。)

EF60か65か分かりませんが、上り貨物列車です。

次はクロスフィルターでヘッドライトが凄い事になっています。これはヘッドマークが付いていますが、あさかぜに見えます。

あさかぜは当時、2往復走っていた様ですが、ちょっと調べて見たところ、1980年には既に両方共、24系25形客車に置き換えられていた様です。最初の20系はヘッドマークもついていなかったので、臨時あさかぜ号だったのかも知れません。

そして最後は富士です。テールマークの文字は読めませんが、絵で分かります。跨線橋の昔のタイプの駅名標がいい感じでした(今でも同じタイプは上諏訪駅で見る事が出来ます)。それにしても、ブレたひどい写真ばっかりですが、40年近く前にこれらの列車を間近で見ていたのだという、個人的はとても貴重な記録でした。

6:56着のキハ17とキハ20の2両編成が来ました。キハ17-22は縦樋が正面に回り込んだ初期型です。

アップで撮ったところです。

後ろ半分です。

2番線に停まっていた先程の6:19着のキハ20x2両編成の遠江二俣寄りに、このキハ17とキハ20の2両編成が連結されました。画像の遠くに見える、東海道線の上下線を跨ぐオーバーパスを通って、遠江二俣からの首都圏色4両編成が7:20に豊橋に向けて出発すると、こちらの4両編成も7:26発で掛川に向けて出発しました。

やっと1980年3月の、朝の新所原駅の二俣線気動車の様子が解明出来ました。


2019年4月29日月曜日

遠江二俣駅(二俣線)1980年

1980年3月31日の遠江二俣駅です。遠くの丘、右側に見える材木積みトキ、左奥のワムやタキ、そして一般色と首都圏色のキハ11が並んでいる様子が最高の景色です。

間もなく遠江二俣駅に着く列車の車窓からです。ここまで10系気動車はあまり見る事が出来なかったので、止まっている一般色のキハ10を見て到着前からハッピーです。

そしてキハ11です。腕木式信号機も健在です。奥のタンク貨車は周辺の製材所向けの燃料や気動車燃料用でしょうか。

3月末でまだそんなに暖かくなかったと思いますが、窓全開で写真を撮っていました。

交換列車は先頭から首都圏色キハ11が2両+首都圏色のキハ17初期型+キハ20一般色の4両編成でした。
キハ11 58 二俣線生え抜きで80.5.12付で廃車されたそうです。

間もなく先頭のキハ11が切り離され、2両目のキハ11が先頭になりました。
こちらはキハ11 59。資料では80.3.26付廃車となっていましたがおそらく60番と逆になっているのだと思われます。

キハ11 59の助手席側です。トイレ窓がHゴム支持でちょっと近代的な雰囲気の後期型の方が初期型の普通のバス窓のトイレよりも好きでした。
右側の初期型キハ17は62番の様です。22番と一緒にこの年の80.8.1付で廃車になったそうです。

他の非電化路線から離れ小島だった二俣線は、独自の”両幌”を使用していましたが、ここに留置されている車両は廃車前提で既に幌が外してありました。自分は幌無しの方が好みだったので、休車ながらも正に見たかったキハ11の姿でした。

駅舎です。駅名標よりも右手の行灯式時刻表の方が目立ちます。

駅前に保存されていたC58389です。

駅の東側にあった遮断機のない踏切付近で構内を見ていると、ここまで乗って来た掛川行き列車から切り離されたキハ17とキハ20の2両が入換している事に気付かず、背後から突然タイフォンを鳴らされてびっくりした事を覚えています。

さて駅西側の留置線の外側から見たところです。

キハ11初期型です。
縦樋に沿って配線が伸びているこれはキハ11 3だったと思います。5.12廃車でした。

その後ろはキハ11首都圏色です。
当時在籍していた残る1両のキハ11は60番です。80.5.12廃車となっていました。

キハ20とキハ17の2両が洗浄線に入りました。

もう一度、お気に入りの幌無し一般色のキハ11です。

出来るだけ近くに寄って撮りました。洗浄台の青バケツが良い感じです。

キハ11はトイレ側の助手席乗務員扉が車端に寄っているので、縦樋がキハ10に比べて前方に取り付けられています。
キハ11 48 屋根上にラッパ型のタイフォンが付いているのが特徴です。
後ろ半分です。

2両目に止まっていたキハ10です。縦樋の位置が標準です。
最後に残っていたキハ10はラストナンバー70番の様です。キハ11 48と同じ3.26付廃車でした。

洗浄線の終端には救援車が止まっていました。車番が分かるかと思って「遠江二俣 救援車」で検索したら、蒸気機関車活躍の頃の素晴らしい機関区内の画像を拝見する事が出来ました。
スエ71 54

DE10重連の貨物列車が来ました。原木を満載したトキやテムが連結されています。
原木は敦賀港から送られてきていた様です。

出来る事なら膨大な枚数を撮れるデジカメを持ってもう一度訪問したい、素晴らしい風景でした。車歴はいつも、きはゆに資料館さんで調べさせていただいています。