2019年4月29日月曜日

遠江二俣駅(二俣線)1980年

1980年3月31日の遠江二俣駅です。遠くの丘、右側に見える材木積みトキ、左奥のワムやタキ、そして一般色と首都圏色のキハ11が並んでいる様子が最高の景色です。

間もなく遠江二俣駅に着く列車の車窓からです。ここまで10系気動車はあまり見る事が出来なかったので、止まっている一般色のキハ10を見て到着前からハッピーです。

そしてキハ11です。腕木式信号機も健在です。奥のタンク貨車は周辺の製材所向けの燃料や気動車燃料用でしょうか。

3月末でまだそんなに暖かくなかったと思いますが、窓全開で写真を撮っていました。

交換列車は先頭から首都圏色キハ11が2両+首都圏色のキハ17初期型+キハ20一般色の4両編成でした。
キハ11 58 二俣線生え抜きで80.5.12付で廃車されたそうです。

間もなく先頭のキハ11が切り離され、2両目のキハ11が先頭になりました。
こちらはキハ11 59。資料では80.3.26付廃車となっていましたがおそらく60番と逆になっているのだと思われます。

キハ11 59の助手席側です。トイレ窓がHゴム支持でちょっと近代的な雰囲気の後期型の方が初期型の普通のバス窓のトイレよりも好きでした。
右側の初期型キハ17は62番の様です。22番と一緒にこの年の80.8.1付で廃車になったそうです。

他の非電化路線から離れ小島だった二俣線は、独自の”両幌”を使用していましたが、ここに留置されている車両は廃車前提で既に幌が外してありました。自分は幌無しの方が好みだったので、休車ながらも正に見たかったキハ11の姿でした。

駅舎です。駅名標よりも右手の行灯式時刻表の方が目立ちます。

駅前に保存されていたC58389です。

駅の東側にあった遮断機のない踏切付近で構内を見ていると、ここまで乗って来た掛川行き列車から切り離されたキハ17とキハ20の2両が入換している事に気付かず、背後から突然タイフォンを鳴らされてびっくりした事を覚えています。

さて駅西側の留置線の外側から見たところです。

キハ11初期型です。
縦樋に沿って配線が伸びているこれはキハ11 3だったと思います。5.12廃車でした。

その後ろはキハ11首都圏色です。
当時在籍していた残る1両のキハ11は60番です。80.5.12廃車となっていました。

キハ20とキハ17の2両が洗浄線に入りました。

もう一度、お気に入りの幌無し一般色のキハ11です。

出来るだけ近くに寄って撮りました。洗浄台の青バケツが良い感じです。

キハ11はトイレ側の助手席乗務員扉が車端に寄っているので、縦樋がキハ10に比べて前方に取り付けられています。
キハ11 48 屋根上にラッパ型のタイフォンが付いているのが特徴です。
後ろ半分です。

2両目に止まっていたキハ10です。縦樋の位置が標準です。
最後に残っていたキハ10はラストナンバー70番の様です。キハ11 48と同じ3.26付廃車でした。

洗浄線の終端には救援車が止まっていました。車番が分かるかと思って「遠江二俣 救援車」で検索したら、蒸気機関車活躍の頃の素晴らしい機関区内の画像を拝見する事が出来ました。
スエ71 54

DE10重連の貨物列車が来ました。原木を満載したトキやテムが連結されています。
原木は敦賀港から送られてきていた様です。

出来る事なら膨大な枚数を撮れるデジカメを持ってもう一度訪問したい、素晴らしい風景でした。車歴はいつも、きはゆに資料館さんで調べさせていただいています。