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2022年9月5日月曜日

倉賀野駅(高崎線・八高線)貨物列車・気動車その他

 貨物列車や八高線の気動車を見る事が出来る倉賀野駅です。

4番線の向こう側の発着線にEF65牽引の上り貨物列車が待機中です。

八高線の気動車がやって来ました。

児玉行きです。

キハ112-204

出発して行きました。

遠くから3灯のヘッドライトが近づいてきたので、EH200かと思ったら、EH500でした。高崎線や上越線であまり見かけない気がします。

EH500-37

安中貨物でした。常磐線の泉から安中まで通しでEH500が牽引している様です。

走り去って行きました。赤いタキもトキも貴重品です。

EF65が最後に製造されたのは1979年。もう40年以上経っていますが、まだまだ活躍しています。

EF65-2085

タキ1000だけの編成で、検査出たての車両が最後尾に連結されていました。

651系1000番台上り特急草津号が来ました。

「4番線に列車がまいります」というアナウンスの後、遠くからEF210牽引の下り貨物列車が近づいてくるのが見えました。

渡り線を通ります。

4番線に入って来ました。

EF210-326

写真はスピード感がありますが、実際はかなりゆっくり減速して行きます。

遠くに出迎えのHD300が見えます。

到着した列車にはタキ43000も連結されていました。

こちらの青いタキ43000は倉賀野駅常備と書かれています。

EF210はホームの外れギリギリのところに停車していました。

貨車はまもなくHD300に牽かれて貨物基地方向にむかいました。

下り高崎行きの八高線列車が通りました。

キハ110-210(1両目)

走り去って行きました。

EF210はそのまま待機中です。

途中、E231系も何本か通ったのですが、あまり「写真を撮っておこう」という気になりません...。


2022年7月29日金曜日

群馬藤岡駅(八高線)再訪

 群馬藤岡駅です。

丹荘駅を出た八高線の列車は次の群馬藤岡駅に向かいます。

神流川を渡ると埼玉県から群馬県に入ります。

群馬藤岡駅が見えて来ました。

到着しました。3両編成の列車でした。

すぐに発車して行きました。

有人の業務委託駅です。

寄居側にある跨線橋です。

上りホームの屋根は2008~2009年に設置されたものだそうです。

東西自由通路から駅構内を見たところです。カラフルな駅舎と跨線橋と待合室の屋根が良い感じです。

北藤岡方向を見たところです。

貨物ホームがあっただろう場所の近くにある大きな倉庫です。

群馬藤岡駅の貨物扱いは1980年に廃止になりました。

駅から正面を見たところです。ちょっとだけ散歩しました。

古い建物が並んでいます。

正面は群馬県道40号藤岡大胡線です。

駅に戻って来ました。

ホームに列車が停まっています。

上り児玉駅止り区間列車の折り返し回送列車の様です。

新町駅行きの日本中央バスが来ました。

車窓から先ほどの回送列車が出発して行くのが見えました。


2022年7月15日金曜日

丹荘駅(八高線)夏 新駅舎

 2019年に建て替えられた丹荘駅の新しい駅舎です。正面に神川町内にある城峯公園のフユザクラをモチーフにした壁画が飾られています。色とりどりの花や紅葉は、良く見ると手型で描かれています。近くの丹荘小学校の生徒と教員の手形だそうです。

下り高崎行きディーゼルカーです。2015年7月に交換設備が廃止されましたが、2番線ホームと線路はまだ残っています。跨線橋は撤去されました。

高崎方向を見たところです。

新駅舎は写真で見た印象よりも大柄な建物でした。旧駅舎の頃からあった上武鉄道の写真が何点か、内部に飾られています。

駅前の植え込みは以前来た時のままですが、良く見ると木が減っている気がします。

駅前通りです。夏の雲が良い感じです。

この先800メートル程行くと国道254号線に出ます。

駅方向を振り返ってみたところです。

高崎方の踏切に行く途中にある駅前タクシー会社です。

鬼石街道踏切です。手前の石柱は丹荘村道路原標です。道路原標というものを知らなかったのですが、大正時代に全国の市町村に1基ずつ設置されたものだそうです。各地の道路原標巡りを趣味にされている方々がいらっしゃる様です。

踏切から丹荘駅方向を見たところです。

高崎(群馬藤岡)方向です。

踏切には引き上げ線のレールが残っています。

上武鉄道の線路跡です。ネットで検索すると貴重な昔の構内配線図を拝見する事が出来ました。鉄道模型レイアウトで再現してみたくなる様な、国鉄と小私鉄の魅力的な乗り換え駅でした。

地図を見るとこの先ずっと、上部鉄道の線路跡が道路になっていました。構内配線図によれば、止まれの文字の辺りに国鉄側への最初の分岐があった様です。

駅の外れを流れる用水路です。

駅に戻って来ました。辺りの標高は94メートルです。

その後、本棚でRMライブラリー41日本ニッケル鉄道(高井薫平著)を見つけました。20年程前に刊行されたものでした。路線規模の割に沢山の機関車や客貨車、殆ど活躍しなかったディーゼルカーまで克明に記録されていました。(こちらにも構内配線図が付いていました。)

陽炎が立ちのぼる中を高麗川行き列車がやって来ました。

旧駅舎が健在だった頃の様子です。⇒丹荘駅 旧駅舎