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2020年7月11日土曜日

塩川駅(磐越西線)セメントサイロ

車窓から見た、塩川駅脇のセメントターミナル会津営業所です。

セメントの貨車輸送は2007年に終了したそうですが、調べると今も太平洋セメントとデンカセメントの拠点があります。

DD51が牽引していた貨物列車の画像や記事をインターネットで拝見する事が出来ました。塩川駅は今も登録上はJR貨物の臨時取扱駅になっているそうです。


跨線橋のコンクリート橋脚に描かれた駅名標です。今も跨線橋の階段部分でごくまれに見かける、角に逆Rがついた古いタイプのデザインでした。

2020年4月13日月曜日

新津運輸区(信越本線・羽越本線・磐越西線)キハ40・キハE120

国道460号線バイパスの歩道からなんとかまともに撮れた一枚です。新津運輸区の現役の転車台と近くに停まっているキハ40が良い感じです。手前を走るのは信越本線です。

羽越本線側から駅方向を見たところです。

最後まで活躍した新潟色500番台のキハ40 560です。

羽越本線の新発田方向です。左手に見える階段でバイパスから降りてきました。

新潟色赤のキハ47x2両編成が停まっています。

キハ110系の間にキハE120を挟んだ5両編成が出て来ました。

切り離し作業をしていました。

キハE120はその後、只見線に転出したので、もう新津で見かける事はありません。

2020年4月1日水曜日

喜多方駅(磐越西線)キハ40

喜多方駅です。

引退前のキハ40の姿を見たくて、ついつい来てしまいました。

3番線の新潟方向は行き止まりになっていました。その他の側線も撤去されています。

いまひとつの天気でしたが、一瞬だけ青空がのぞいて、キハ40に陽が当たりました。

1番線と駅舎です。マピオン地図によれば、喜多方駅の標高は205mです。

2面3線の駅です。

跨線橋から新潟方向を見たところです。1番線右側の駐車場の辺りに、日中線のホームと機回し線があった筈です。日中線が廃止になったのは、はるか昔の1984年の事です。

立派な石積の倉庫があります。

会津若松から到着したキハ40x2両編成は、折り返しまでかなり時間がある様です。

駅前風景です。

喜多方には2003年に一度、来た事がありました。その時の画像です。

こちらは2020年の駅舎です。

2003年にはこんな蔵造り風の電話ボックスがありました。

2020年の駅前風景です。

2003年は駅舎の様子は今と少し異なっていました。空には沢山の電線が見えます。

2003年には馬車が走っていましたが、さすがに観光用でしょう。

2020年、午前中でも営業していた、こちらの丸見食堂で喜多方ラーメンをいただきました。

実は2003年に来た時も、こちらでラーメンをいただいていました。今はきれいな建物になりましたが、当時の店構えもなかなか良い感じです。

2020年、駅前はきれいに整備されています。

2003年、既に21世紀でしたが、雑然とした感じが駅前らしくて良い雰囲気です。

2020年の会津バスです。会社名は会津乗合自動車(株)という素敵な名前でした。

2003年の会津バスです。バスがやはりちょっと古い形に見えます。

駅の周辺を少し散歩してみましたが、天気がイマイチで早々に引き上げて来ました。

フェイク煉瓦とフェイクナマコ壁ですが、観光地っぽい感じに仕上がっています。

改札口を入ると酒樽が積み上げられていました。

1番線は結構、幅の広いホームです。

当初は喜多方から山都まで列車に乗って、そこからバスで会津坂下に向かうプランを考えていたのですが、新潟県内の強風の影響でダイヤが大幅に乱れていたので、予定を変えて会津若松経由で行く事にしました。

登場時は運転席窓とテールライトの位置が高すぎると思っていたキハ40ですが、今になって思えば、キハ58からの流れをきちんと受け継いだ、良いデザインでした。

正面に見えるのは磐梯山を中心とした山々です。

相当遅れて会津若松行きの列車が来ました。

2020年3月30日月曜日

会津若松駅(磐越西線・只見線)キハ40

会津若松駅です。マピオン地図だと標高213mです。

喜多方行きの2両編成普通列車です。先頭のキハ40 2086は灰色Hゴムでした。

高崎から水郡線、新庄、再び水郡線、更にもう一度新庄に行ってから、小牛田に移って15年以上活躍した後、最後に只見線に来た車両でした。屋根上にクーラーが見えませんが、床下設置型の冷房機が付いていた様です。

2両目はロングシートのキハ40 582です。

登場以来35年余りを新潟地区で過ごした後、最後に只見線に来た車両でした。

喜多方から3両編成の普通列車が到着しました。先頭はキハ40 2021です。

2両目はキハ40 526でした。こちらは八戸で15年余り、その後、新津で20年程過ごした後、只見線に来た車両でした。

そして3両目はキハ40 572です。小牛田を振出しに山形、新庄、そして再び小牛田で20年余りを過ごした後、只見線に来ました。

駅前に飾られているC57の動輪です。

貨物列車は来なくなりましたが、貨物駅はオフレールステーションとして残っていました。

構内は広く規模が大きく見えますが、郡山との間のトラック便は1日2往復だそうです。

駅入り口です。青空が見えているものの、レンズ右上に雪粒の直撃を受けています。

15年以上前の写真がありました。駅舎の屋根に日本酒等の看板があって今よりも賑やかな感じです。白虎隊の銅像は当時からありました。駐車しているゴルフ2やプリメーラ、スカイラインがとても懐かしい感じです。

構内には新津のキハ47が停まっていました。手前がキハ47 512、向こう側がキハ47 513の500番台同士の2両編成です。

跨線橋から郡山、喜多方方向を見たところです。

1・2番線とその間の中線は行き止まりになっています。

只見線の気動車が入換中です。午前中に見かけたキハ40 2021です。

もう1両のキハ40 526とは水タンク側同士が連結されていました。

洗浄線で休むE721系電車です。

こちらのキハ47は朝からずっと止まっていました。

入換をしていたキハ40の2両編成が喜多方方向から4番線に入線してきました。

午後一番の会津川口行き普通列車になります。会津川口までは1時間50分程かかります。

この列車に乗って郷戸駅まで行きました。→郷戸駅

夕方になりました。途中いろいろあって右側4番線に到着したキハ40 526で会津若松に戻って来ました。左側の3番線には会津坂下行きの4両編成が停まっています。最後尾はキハ40 571でした。こちらもキハ40 572とほぼ同様の車歴の様です。

会津坂下行きの先頭は朝方見かけたキハ40 582、2両目は一緒だったキハ40 2086、そして3両目は朝の喜多方からの3両編成の最後尾に繋がれていたキハ40 572、そして最後尾がキハ40 571でした。