八王子駅にて、オハネフ25を5両連ねた廃車回送列車です。2008年です。
改めてインターネットで調べてみると、妻にわずかに後退角がついて、車体裾の帯の回り込みが短いこちらは、オハネフ25 200番台の様です。
機関車はEF64-36号機でした。こちらもインターネットで調べると2011年に廃車になった様です。
中央本線で寝台客車を見たのは、後にも先にもこの時だけでした。
おまけで八王子駅構内のDE10-1667号機です。この塗色はあまり普及しませんでしたが、先ほどの寝台客車5両位を牽くのにちょうど良さそうです。(最近、東武鉄道のDE10が北斗星色に塗られたそうですが。)1667号機はその後、赤い更新色に変更された後、2015年に廃車になった様です。
2020年4月29日水曜日
2020年1月19日日曜日
下吉田駅(富士急行)
下吉田(しもよしだ)駅です。富士急行HPに標高753メートルと出ていました。素敵な駅舎と駅構内の保存車両等でちょっとした観光施設になっていました。
河口湖寄りの踏切から見たところです。
ワフ1です。
こちらはト101です。
フジサン特急2000形先頭車が見えます。2001年に老朽化!を理由にJRで廃車になってからその後、富士急行で15年間!!活躍したそうです。
おしゃれな雰囲気に改装されていました。観光客の方々も沢山居ます。
トーマスランド号ラッピングの5000形は見えます。
24系客車や169系電車の姿も見えました。
いい感じのホーム上屋です。
ホーム側から見た駅舎です。
立ったままでは絶対に乗れなそうな、随分背の低いモーターカーが居ました。正面に富士山が見えます。
こちらはインターネットで調べたらスハネフ14 20でした。「特急富士」という事で”富士”繋がりでここに保存されている様です。
入口の様子です。
残念ながら169系は生首状態でした。
屋外展示で維持が大変でしょうが、末永く保存されていて欲しいと思います。
もう一度、素敵な駅舎です。
河口湖寄りの踏切から見たところです。
ワフ1です。
こちらはト101です。
フジサン特急2000形先頭車が見えます。2001年に老朽化!を理由にJRで廃車になってからその後、富士急行で15年間!!活躍したそうです。
おしゃれな雰囲気に改装されていました。観光客の方々も沢山居ます。
トーマスランド号ラッピングの5000形は見えます。
24系客車や169系電車の姿も見えました。
いい感じのホーム上屋です。
ホーム側から見た駅舎です。
立ったままでは絶対に乗れなそうな、随分背の低いモーターカーが居ました。正面に富士山が見えます。
こちらはインターネットで調べたらスハネフ14 20でした。「特急富士」という事で”富士”繋がりでここに保存されている様です。
入口の様子です。
残念ながら169系は生首状態でした。
屋外展示で維持が大変でしょうが、末永く保存されていて欲しいと思います。
もう一度、素敵な駅舎です。
2019年8月3日土曜日
茂木-市塙(真岡鐵道)C11325
数年前です。茂木駅側線にて待機中のC11325です。真岡鉄道を離れて、東武鉄道に移籍する事が決まったそうです。
茂木駅の向こう側に見える丘が良い感じです。
ディーゼルカーが到着しました。
途中で蒸気機関車の写真を撮ろうと思いましたが、なかなか良い場所がありません。途中の踏切から茂木方向を見たところです。
真岡方向です。
そろそろSL列車の時間が近づいてきたので、この辺りで撮る事にしました。
やがて汽笛が聞こえ、木々の間からC11が顔を出しました。
褒められた構図ではありませんが、充分満足です。
走り去って行きました。
列車が市塙駅に停まっている間に先回りしました。
煙が全然出ていませんでした。
まだまだ追いかけたいところですが、この辺りで止めておきました。
茂木駅の向こう側に見える丘が良い感じです。
ディーゼルカーが到着しました。
途中で蒸気機関車の写真を撮ろうと思いましたが、なかなか良い場所がありません。途中の踏切から茂木方向を見たところです。
真岡方向です。
そろそろSL列車の時間が近づいてきたので、この辺りで撮る事にしました。
やがて汽笛が聞こえ、木々の間からC11が顔を出しました。
褒められた構図ではありませんが、充分満足です。
走り去って行きました。
列車が市塙駅に停まっている間に先回りしました。
煙が全然出ていませんでした。
まだまだ追いかけたいところですが、この辺りで止めておきました。
2019年7月28日日曜日
新所原駅(東海道本線・二俣線)1980年
キハ11を見たくて、1980年3月、雑誌の情報を頼りに二俣線を訪れました。大垣夜行で行ったのは間違いないのですが、電車が165系だったのかどうかも全く記憶になりません。時期的に比較的近いと思われる76.10.1訂補の時刻表があったので、それを使って写真と記憶を繋ぎ合せて見る事にしました。
豊橋駅ホームです。今もホーム自体は残っていますが、一般客が降りる事は出来ません。
キハ20の室内です。
この列車は豊橋発5:17です。小型時刻表なので着時間は分かりませんが、新所原発は5:42になっているので、おそらく新所原での停車時間は15分位あったのだと思います。3両編成でした。ちょっとピンボケで構図も滅茶苦茶ですが、先頭はキハ20-36です。
バス窓のキハ20-36ですが、天イセとなっています。キハ10系置き換え用に伊勢市から転属してきた様です。
2両目はキハ20-299ですが、これもなにか半端な構図です。次の3両目はキハ25でした。
首都圏色のキハ25の車番は不明です。
ここで気動車を見る機会を増やす為に一旦列車を降りました。
時刻表によれば、この後、金指からの列車が2本、新所原着6:19と6:56着で到着します。
1本目の6:19着がこの一般色と首都圏色のキハ20x2両編成です。
DMH17縦型エンジンです。
温気式暖房機だと思います。
空気タンクは黒く塗られていました。
DT22台車とトイレ流し管です。
ちょっと変色した画像で恐縮ですが、連結器周りです。しかしながら、片側しか撮っておらず、その後、鉄道趣味からも模型からも長い期間、足を洗っていましたので、この写真が役に立つことはありませんでした。
その後は東海道線の列車を写しながら次の列車を待ちましたが、どれもまともに撮れていません。
EF65-1000が牽く上り寝台列車です。ヘッドマークはありませんでした。
あさかぜのテールマークがかろうじて読めますが、なぜか中央に文字が寄っちゃっている感じです。今はカシオペア位でしかもう見られない電源車です。
EH10牽引の下り貨物列車です。
続いてEF65ー0番台が牽く下り貨物列車です。
車掌車はあまり見かけたことがなかったヨ2000でした。(ブレている上に切れていますが。)
EF60か65か分かりませんが、上り貨物列車です。
次はクロスフィルターでヘッドライトが凄い事になっています。これはヘッドマークが付いていますが、あさかぜに見えます。
あさかぜは当時、2往復走っていた様ですが、ちょっと調べて見たところ、1980年には既に両方共、24系25形客車に置き換えられていた様です。最初の20系はヘッドマークもついていなかったので、臨時あさかぜ号だったのかも知れません。
そして最後は富士です。テールマークの文字は読めませんが、絵で分かります。跨線橋の昔のタイプの駅名標がいい感じでした(今でも同じタイプは上諏訪駅で見る事が出来ます)。それにしても、ブレたひどい写真ばっかりですが、40年近く前にこれらの列車を間近で見ていたのだという、個人的はとても貴重な記録でした。
6:56着のキハ17とキハ20の2両編成が来ました。キハ17-22は縦樋が正面に回り込んだ初期型です。
アップで撮ったところです。
後ろ半分です。
2番線に停まっていた先程の6:19着のキハ20x2両編成の遠江二俣寄りに、このキハ17とキハ20の2両編成が連結されました。画像の遠くに見える、東海道線の上下線を跨ぐオーバーパスを通って、遠江二俣からの首都圏色4両編成が7:20に豊橋に向けて出発すると、こちらの4両編成も7:26発で掛川に向けて出発しました。
やっと1980年3月の、朝の新所原駅の二俣線気動車の様子が解明出来ました。
豊橋駅ホームです。今もホーム自体は残っていますが、一般客が降りる事は出来ません。
キハ20の室内です。
この列車は豊橋発5:17です。小型時刻表なので着時間は分かりませんが、新所原発は5:42になっているので、おそらく新所原での停車時間は15分位あったのだと思います。3両編成でした。ちょっとピンボケで構図も滅茶苦茶ですが、先頭はキハ20-36です。
バス窓のキハ20-36ですが、天イセとなっています。キハ10系置き換え用に伊勢市から転属してきた様です。
2両目はキハ20-299ですが、これもなにか半端な構図です。次の3両目はキハ25でした。
首都圏色のキハ25の車番は不明です。
ここで気動車を見る機会を増やす為に一旦列車を降りました。
時刻表によれば、この後、金指からの列車が2本、新所原着6:19と6:56着で到着します。
1本目の6:19着がこの一般色と首都圏色のキハ20x2両編成です。
一旦1番線に到着してからこの2番線に転線したのですが、1番線に停まっている時に模型の参考の為にと思って床下機器を撮っておきました。
こちらは良く見ると日立や三菱のマークが付いています。
DMH17縦型エンジンです。
温気式暖房機だと思います。
空気タンクは黒く塗られていました。
DT22台車とトイレ流し管です。
その後は東海道線の列車を写しながら次の列車を待ちましたが、どれもまともに撮れていません。
EF65-1000が牽く上り寝台列車です。ヘッドマークはありませんでした。
あさかぜのテールマークがかろうじて読めますが、なぜか中央に文字が寄っちゃっている感じです。今はカシオペア位でしかもう見られない電源車です。
EH10牽引の下り貨物列車です。
続いてEF65ー0番台が牽く下り貨物列車です。
車掌車はあまり見かけたことがなかったヨ2000でした。(ブレている上に切れていますが。)
EF60か65か分かりませんが、上り貨物列車です。
次はクロスフィルターでヘッドライトが凄い事になっています。これはヘッドマークが付いていますが、あさかぜに見えます。
あさかぜは当時、2往復走っていた様ですが、ちょっと調べて見たところ、1980年には既に両方共、24系25形客車に置き換えられていた様です。最初の20系はヘッドマークもついていなかったので、臨時あさかぜ号だったのかも知れません。
そして最後は富士です。テールマークの文字は読めませんが、絵で分かります。跨線橋の昔のタイプの駅名標がいい感じでした(今でも同じタイプは上諏訪駅で見る事が出来ます)。それにしても、ブレたひどい写真ばっかりですが、40年近く前にこれらの列車を間近で見ていたのだという、個人的はとても貴重な記録でした。
6:56着のキハ17とキハ20の2両編成が来ました。キハ17-22は縦樋が正面に回り込んだ初期型です。
アップで撮ったところです。
後ろ半分です。
2番線に停まっていた先程の6:19着のキハ20x2両編成の遠江二俣寄りに、このキハ17とキハ20の2両編成が連結されました。画像の遠くに見える、東海道線の上下線を跨ぐオーバーパスを通って、遠江二俣からの首都圏色4両編成が7:20に豊橋に向けて出発すると、こちらの4両編成も7:26発で掛川に向けて出発しました。
やっと1980年3月の、朝の新所原駅の二俣線気動車の様子が解明出来ました。
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