千早駅から貝塚駅まで西鉄貝塚線に乗りました。千早駅開業時に付け替えられた高架線は複線化可能な構造です。
名島駅でラッピング電車と交換しました。
2024年5月から2025年3月までの予定で運転されていた西鉄電車開業100周年記念電車です。
多々良川を渡る鉄橋からJRの鉄橋が見えます。ちなみに背後の海側を博多臨港線が通っていました。
多々良車両基地です。
開業時からの車両基地で、現貝塚駅が西鉄多々良駅として開業した事から多々良車両基地というそうです。
車両基地への出入りは貝塚駅側からになります。
千早駅から貝塚駅まで西鉄貝塚線に乗りました。千早駅開業時に付け替えられた高架線は複線化可能な構造です。
名島駅でラッピング電車と交換しました。
2024年5月から2025年3月までの予定で運転されていた西鉄電車開業100周年記念電車です。
多々良川を渡る鉄橋からJRの鉄橋が見えます。ちなみに背後の海側を博多臨港線が通っていました。
多々良車両基地です。
開業時からの車両基地で、現貝塚駅が西鉄多々良駅として開業した事から多々良車両基地というそうです。
車両基地への出入りは貝塚駅側からになります。
入広瀬から小出まで進行方向左側の車窓です。
小出から入広瀬に向かう間はもう少し晴れていたのですが、その後天気はいまひとつで、カメラ性能もいまひとつ、カメラマンの腕もいまひとつ、そしてなによりも開かないキハE120の下段窓ガラスがいまひとつです。
もやっとした写真を、いろいろと画像調整してみました。
まあちょっと雰囲気だけは伝わるでしょうか。
元々の天気予報では終日曇りだったので、ところどころ僅かに青空が見えるだけでもラッキーだったかも知れません。
それに実際の車窓はこれらのぼやけた写真よりもずっと魅力的でした。
入広瀬から小出までは5駅、30分少々です。
日曜日だという事もあってお客さんは結構乗っていました。
会津若松から全線乗り通した人も結構いたのかも知れません。
会津若松発06:08-小出着10:41。途中弁当を食べたり、ビールを飲んだり、居眠りしたりしても4時間半はなかなか大変です。
そろそろ小出着の時間が近づいてきました。
でもやっぱり、窓を開けられるキハ40が良かったなぁ、と思います。
小出-入広瀬間の車窓です。小出駅を出た列車はさっそく魚野川を渡ります。この辺りの標高は90メートル弱位です。
国道17号線と関越自動車道を過ぎてしばらく行くと車窓に田んぼが広がります。
えちごツーデーパス2日目、天気予報は曇りだったので只見線乗車はパスして土樽、石打辺りに向かう事も考えていましたが、天気もまずまずで良かったと思います。
藪神駅です。夏ですが窓に雪囲いの板が取り付けられていました。板を嵌める為に壁に取り付ける金具は”座付貫抜受け”とか、その形から”十手金物”とも言うそうです。
商工会館前の手を振るキハ110人形は健在でしたが、手は振っていなかった気がします。
田んぼの向こうには破間川が流れています。その向こう側の国道252号線沿いの家々が見えます。
列車は左に大きくカーブすると破間川の左岸から右岸に渡ります。
窓の開かないキハ110の窓ガラスには時々室内灯が映り込みます。ピントもいまいちです。
良い天気です。この辺りは標高120メートル位です。
越後広瀬です。周辺の駅でここだけが開業時の駅舎が残っていますが、切り詰め改装されています。
破間川の支流、和田川を渡る国道252号線が見えます。
列車は更に進みます。この辺りは引き続き標高120~125メートル位です。
高台の上に家々が見えてくると間もなく魚沼田中です。
ここも窓に雪囲いの板が付けられていました。
更に進むと、この辺りで標高150メートルを超えます。
越後須原です。ちょっとぼやけた写真です。
越後須原から上条にかけては、2004年に合併して魚沼市になるまで守門村だったそうです。
今度は破間川の右岸から左岸に渡ります。
この辺りで標高175メートル位です。
すこしずつ平地が狭まってくる感じです。
車窓からは見えませんが破間川は谷間を蛇行しています。
上条駅です。標高190メートルを超えています。この駅も窓に雪囲いの板が付いていました。
只見線は破間川左岸を標高約220メートルの入広瀬に向かって更に登って行きます。
破間川と対岸の集落の間にも結構高低差があります。
ところで天気がちょっと今ひとつになって来ました。
元々曇りの天気予報だったので、晴れ間よりも太陽が雲に隠れる割合が増えてきました。
まもなく入広瀬に到着します。
守谷から柏たなかに向かう電車の左手車窓です。住宅街の向こうに大きなイオンが見えます。