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2024年10月24日木曜日

小出駅(只見線・上越線)乗り換え

 小出駅です。

土休日運転の小出9:15発上り会津若松行き臨時列車で入広瀬まで行ってから戻って来たところです。

国鉄一般色風ラッピングのキハE120-2です。

キハ110-224です。

2・3番線ホームから見たところです。

次の上越線上り列車が来るまで、いろいろ写真を撮ってみましたが、どれもあまり変わり映えがしません。

天気も曇りでいまひとつでした。

この2両編成は次の上り会津若松行きまで約2時間半待機です。

上越線上り水上行きの電車が来ました。


2024年10月17日木曜日

土樽駅(上越線)

 土樽(つちたる)駅です。以前、関越自動車道から木造駅舎を見かけた事があり、いつか来てみたいと思っていました。

上下共にそれぞれ平日5本、土休日6本しか列車がありません。越後湯沢から休日朝から4本目の上り水上行きに乗り、12:32に土樽到着です。

この後、13:49発の長岡行きで石打に向かうまで、約1時間20分の滞在時間です。

元々内側2線の通過線の外側に対向式ホームに面した待避線がある構造だったので、支間の長い跨線橋が残っていました。

2008年に3週間程かけて待避線を撤去して新しいプラットホームを設置し、その期間はバス・タクシーで代行輸送を行ったそうです。


待避線撤去時に新しく設置された、ゴツいホーム上屋です。

無人駅でデータはないそうですが、利用客は相当少なそうです。

越後中里方面です。

当初は土樽信号所として開設され、スキー客向け臨時停車等が行われた後、1941年に旅客駅に昇格。1941年から1965年までは貨物扱いも行われていたそうです。

駅の標高は海抜599メートルでした。

ここまで車で来てから電車に乗る人はいなそうですが、何故か駅前に乗用車が停まっていました。登山目的の人々でしょうか。

駅前は関越道があるだけです。地図を見てもその向こう側に民家はなさそうです。

駅前の反対側は行き止まりになっていました。

駅入口です。左側の上屋に置いてあるのはちょっと大型の除雪機です。

土樽駅が無人化されたのは1985年でした。

鉄道写真やサボ、行先方向幕が展示されています。登山客以外は鉄道好きの人しか来ないのでしょう。

近くにJR東日本の土樽変電所があります。

土樽駅と清水トンネルの近代化産業遺産プレートがありました。

保線関係の詰所(跡)でしょうか。

線路はすっかり草で覆われており、転轍機も現役ではなさそうです。

建物から線路へ直角にレールが伸びています。

小説”雪国”の冒頭に出てくる信号所は土樽であったという文学碑が建っていました。

跨線橋から駅舎を見たところです。

もうかなり飽きてきたのですが、あちらこちらの写真を撮る以外にやる事がありません。

そろそろ下り長岡行きが来る時間です。

北の方には青空が覗いていました。

2024年10月10日木曜日

石打駅(上越線)

 石打(いしうち)駅です。マピオン地図だと標高253メートルです。

下り長岡行き普通列車です。

出発して行きました。

構内には2線の長い車庫があります。北陸新幹線開業前には北越急行線の特急はくたかの滞泊に使われていたそうです。

上りの長岡発最終列車は当駅止まりで翌朝始発の長岡行きとなります。

1番線は線路の痕跡が残っていますが、20年以上前に撤去されたそうです。

上越線は水上-石打間が当初から電化開業し、電気機関車の基地として水上と共に機関区が設置されていました。全線電化後も勾配区間用の補機が配置され、またスキー臨時列車の拠点として多くの留置線がある重要な駅だった様です。

地下道をくぐって改札に出ます。2020年に無人化されましたが、2019年まではみどりの窓口もあったそうです。

駅から東側を見たところです。

かつてスキー客で賑わったであろう駅前の土産店跡です。

こちら土産店だった様です。

この駅前からバスで周辺のスキー場に向かったのでしょう。

国鉄コンテナが置いてありました。

少し先まで歩いてみました。

旅館や飲食店が沢山あったのでしょう。

こちらも元商店の様です。

駅に戻って来ました。

時代の流れとは言え、相当な寂れ方でした。

そろそろ上り水上行きが来る頃です。

車内は結構混んでいました。