毛呂駅の高麗川方にある岩井踏切です。
踏切から毛呂駅の木造駅舎を見たところです。
高麗川方向です。
2番線に上り高麗川行きが9:21に到着した後、6分間の小休止です。
しばらくすると下り高崎行きが到着しました。後追いです。
上り高麗川行きのヘッドライトが点灯しました。
9:27に出発しました。
高麗川までの所要時間は7分、9:34着です。
排煙を噴き上げて加速して行きました。
毛呂駅の高麗川方にある岩井踏切です。
踏切から毛呂駅の木造駅舎を見たところです。
高麗川方向です。
2番線に上り高麗川行きが9:21に到着した後、6分間の小休止です。
しばらくすると下り高崎行きが到着しました。後追いです。
上り高麗川行きのヘッドライトが点灯しました。
9:27に出発しました。
高麗川までの所要時間は7分、9:34着です。
排煙を噴き上げて加速して行きました。
八高線第二久保踏切から越生方向を見たところです。この辺りの標高は66メートル。正面左手の越生駅前の丘は標高108メートル、右側の遠くに見える山は標高126メートルですが、特に名前はない様です。
まもなく越生線越生行き電車が来る時間です。
リバイバルツートンカラー編成が来ました。
| 81107編成 |
2014年11月にこの塗色になってから10年経ちました。
ぶどう色1号になったセイジクリーム色も是非、復活して欲しいと思います。
八高線下り高崎行きです。
| HB-E221-13 |
走り去って行きました。
| 8199編成 |
県道30号線と八高線、東武越生線の並走区間に面白い形の線路柵がありました。この区間の八高線の開業は1933年4月、越生線(越生鉄道)は1934年12月です。
支柱部分はコンクリートで柵の横棒部分はかなり細いレール状の鉄骨です。一部の支柱は崩壊しかかっていますが、中に横棒と同じ鉄骨が入っていました。
こちらの支柱は大分崩壊が進んで横棒が無くなっています。
相当細いのですが、この部分を見るとやはりレールではないかと思います。JIS規格では6kgレールというのが一番細いレールだそうです。
昭和初期、当時はまだ馬車や牛車や大八車が行きかっていた県道と八高線の境に、どこかの砂利取り線かなにかの廃レールが活用されたのではないかと思います。
手前側は大分崩壊が進んでおり、この角度からだと柵の存在は良く分かりません。たまたま、この辺りから列車の写真でも撮ってみようと思わなければ、列車内からも自動車内からも絶対に気付かない線路柵でした。
県道30号線旧道から八高線の線路の向こうに日本セメント埼玉工場を見たところです。煙突の数は減りましたが、1955年開業の歴史ある工場です。
近くの平沢坂戸踏切で初めてHB-E220を見た後、高麗川からの折り返し下り高崎行き列車をセメント工場を背景に撮りました。
国際興業バス 医大31系統 飯能-埼玉医大線です。
八高線第二平山踏切です。
越生方向です。
上り列車が来ました。顔を見せた瞬間にキハ110と分かりました。
この日、これまでに見た2編成共にHB E-220でしたが、キハ110もまだ運用に入っていました。
両運転台車が優先的に残されているという話をどこかで読んだ気がしましたが、2025年12月31日に運用に入っていたのはキハ112+キハ111の207号車でした。
走り去って行きました。
この日は終日、八高線沿線で写真を撮っていたのですが、15:00を過ぎて大分日が傾いて来ました。高麗川-毛呂間でこの日最後の写真を撮る事にしました。
なかなか魅力的な宿谷川橋りょうですが、ここは以前に写真を撮った事があるので、今回はパスして、もう少し違う場所を捜しました。⇒宿谷川橋りょう
少し高麗川寄りで写真を撮ったのですが、結局、なんだか全く良く分からない写真になってしまいました。
遠くの後追いもピンボケです...。
よく来る毛呂駅です。大幅に改装されていますが、1933年(昭和8年)開業時からの駅舎です。
下り高崎行きディーゼルカーです。
出発して行きました。
いつ来ても変わらない風景です。
この後、東毛呂駅まで歩いて行きました。
毛呂駅から東毛呂駅まで歩いて行く事にしました。
駅の越生側にある踏切に向かいます。
毛呂坂戸踏切です。
越生方向です。
埼玉県道39号線川越坂戸毛呂山線です。
遠くの山々と広い空が良い感じです。
周囲に何もない感じの東毛呂駅-埼玉医大線川越観光自動車バス、福祉会館前バス停です。
臥龍山の紅葉がきれいです。
埼玉県道飯能寄居線との交差点はもうすぐです。
東毛呂駅まではもうすぐです。距離にして1km少々、約20分でした。
以前同じように歩いた時から5年以上経っていました。⇒毛呂駅-東毛呂駅 前回散歩