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2025年4月6日日曜日

奈良駅(関西本線・桜井線)

 奈良駅東口です。高架駅の手前に曳家で移動された2代目旧駅舎が奈良市総合観光案内所になっています。

駅前の様子です。

三条通りです。

奈良交通バスです。

こちらは西口です。

西口ロータリーです。

3面5線のうち、2番線は左右にホームがあります。

3番線に電車が入ってきました。

駅南側です。奈良線の205系電車が遠くに停まっていました。

関西本線(大和路線)、桜井線(万葉まほろば線)の接続駅で、奈良線の他に片町線(学研都市線)電車も乗り入れていました。この後、奈良-帯解-京終-櫟本-奈良と電車で回りました。


2025年4月1日火曜日

帯解駅(桜井線)

桜井線奈良駅から2駅目4.8km、帯解(おびとけ)駅です。

朝に1本だけある快速JR難波行き電車ですが、桜井線内は各駅停車です。

出発して行きました。

交換の上り電車がなかなか発車しないなと思ったら回送列車でした。

下りホーム側に駅本屋があります。

駅本屋前の木が良い感じです。

1898年の開業時からの建物です。

上りホームとは無蓋跨線橋で結ばれています。

回送電車は8両編成でした。

京終・奈良方向です。

やっと回送列車が出発して行きました。

跨線橋から駅舎を見たところです。

駅は標高67メートルです。

上りホームの待合室です。

櫟本・天理方向です。

桜井線が1980年に電化されてから既に45年経っていました。

今では万葉まほろば線と呼ばれているそうですが、ちょっと長い愛称名です。


2025年3月22日土曜日

京終駅(桜井線)

 京終(きょうばて)駅です。奈良駅から1駅目1.9kmです。1898年築の駅舎が2017年にJR西日本から奈良市へ無償譲渡され、2019年にかけて復元工事が行われたそうです。

奈良行きの上り電車で到着しました。

駅本屋は下りホーム側にあります。駅の標高は82メートルでした。

上りホームの外側には側線が残っています。

貨物扱いは1977年に廃止されていましたが、保線用に使われているのかも知れません。

帯解・天理に向かって側線が伸びていますが、本線とのポイントは切られています。

上りホームから駅舎には地下通路を通って行きます。

下りホーム上屋は無償譲渡・復元の対象ではなかったのかも知れません。

駅本屋側から見た上りホーム上屋です。

改札口です。

ホーム上屋と駅舎の繋ぎ部分です。

奈良方面に回送電車が通過して行きました。

難読駅として知られている京終駅ですが、改札口内側に掲げられていたのは古い駅名標でしょうか。

こういう金具が今もあるのはちょっと驚きでした。

壁や天井、ベンチ等全て無垢の桧を使用されていると木材納入業者のHPに案内されています。

奈良市の歴史的風致形成建造物プレートが取り付けられていました。

このまま年数を経るにつれて風格が出てくるのでしょう。

駅右手のトイレです。

素晴らしい復元駅舎でした。

左手に保線車両上屋がありました。

下り王寺行き電車が来ました。


2025年3月16日日曜日

櫟本駅(桜井線)

 櫟本(いちのもと)駅です。”櫟”の字は初めて見ましたが”イチイ”あるいは”クヌギ”の異字だそうです。地名は天狗の住む大きなイチイの木があったという伝説によるとWikipediaに書かれていました。

奈良駅から3駅目7.3km。桜井方向の次の駅は天理です。

朝のラッシュ時に運転される221系電車同士が交換します。手前側が王寺行き、向こう側が奈良行きです。

出発して行きました。

対向式ホーム2面2線の駅です。

駅の標高は海抜65メートルです。

さいきの駅舎訪問ブログを拝見するとこの駅舎は1898年の開業時からのものだそうです。

こちらの古い跨線橋は昔、天皇陛下が天皇家ゆかりの地を訪れた際にかけられたという言い伝えがあると、駅前の学童交通誘導員の方が教えてくれました。

以前は差し掛け部分が青かった頃がある様ですが、今は落ち着いたグレーです。

125年以上前の建物ですが、きれいに整備されています。

天理方の踏切から見たところです。

駅に戻ってきました。

跨線橋脇のトイレです。

跨線橋から天理方向です。

帯解・奈良方向です。

素晴らしい駅でした。この後、電車に乗って奈良駅に向かいました。