大森駅西口です。現駅舎は1984年に建てられたものです。
有名な大森貝塚は大井町寄りの西側線路脇にあります。大森駅から近いところに大森貝墟碑、更に大井町寄りに大森貝塚碑があって、実際の発掘場所は後者だそうです。
大田区は駅前を通る池上通りをおよそ10年かけて拡幅し、同時に西口駅前広場を整備するそうです。
東口の駅ビルにはアトレとホテルメッツが入っています。
大森駅西口です。現駅舎は1984年に建てられたものです。
有名な大森貝塚は大井町寄りの西側線路脇にあります。大森駅から近いところに大森貝墟碑、更に大井町寄りに大森貝塚碑があって、実際の発掘場所は後者だそうです。
大田区は駅前を通る池上通りをおよそ10年かけて拡幅し、同時に西口駅前広場を整備するそうです。
東口の駅ビルにはアトレとホテルメッツが入っています。
普段は横浜線が使用している東神奈川駅2番線ホームに同駅始発の京浜東北線大宮行きが入って来ました。後からネットで調べてみると、2番線からの大宮行きは1日1本だけの知る人ぞ知る列車だそうです。
時刻表を見ると、鎌倉車両センター東神奈川派出所からの京浜東北線始発列車は、南行きが4:34発初電と7:12発の大船行き2本、北行きは16:11発のこの大宮行き1本だけです。
3番線に大口方から到着したのは横浜線折り返し八王子行きでした。
京浜東北線のATCと横浜線ATS-Pの切り替えもあって複雑そうな信号機回りです。
3番線は横浜線下り用ホームですが、京浜東北線北行きにも出発出来そうです。
横浜線115周年ヘッドマーク付きの八王子行きが4番線に到着しました。4番線からの八王子行きも珍しい気がしますが、朝夕に見られるそうです。
出発して行きました。ちなみに横浜線から1番線に入る根岸線直通南行き列車もあるとの事でした。
東海道線の馬面っぽいE231系1000番台が通ります。
横須賀線のE217系です。
E235系への置き換えが進んでいますが、まだまだよく見かけます。
横浜駅で見かけた桜木町行き横浜線115周年ヘッドマーク付き電車が折り返してくるところを撮ろうと東神奈川駅で一旦電車を降りたら、変則的なホーム使用の珍しい大宮行きを見る事が出来ました。
根岸駅です。ENEOS根岸製油所専用線と神奈川臨海鉄道本牧線が接続し、車扱いの貨物取扱量とタンク車の出荷数量は日本一だそうです。
首都高速湾岸線の向こう側に広がる製油所専用線の構内に大量のタンク車が見えました。
EH200牽引の坂城行きが出発して行きます。坂城まで1日3往復のタンク列車が走っています。
しばらくすると新鶴見からのEF210単機回送が到着しました。
発着線磯子寄りの位置で一旦停車します。2018年から採用されている新塗装です。
そして入換標識灯を点けると反対側に走って行きました。
神奈川臨海鉄道本牧線の左側発着線に入ります。
まもなく本牧線の右側発着線からコンテナ列車がやってきました。
横浜本牧駅から来たDD5519牽引の列車です。
なかなか見る機会も少なくなった貴重なディーゼル機関車です。
DD5519はコンテナ列車を切り離すと一旦磯子寄りに引き上げ、隣の発着線を通って反対側に向かいます。
先程単機回送されてきたEF210が、既にコンテナ列車の反対側に連結されていました。
DD5519は本牧線の発着線に向かいます。
右側発着線の手前側に待機線がある様です。
EF210が牽くコンテナ列車が東京貨物ターミナルに向かって出発して行きました。1時間程の間にタンク列車やコンテナ列車が次々と発着する姿を見る事が出来ました。
遠くの専用線構内に見えたのは若番のタキ1000-10でした。
参考:Wikipedia/デンチュウの鉄道ページ/配線略図net
鶯谷駅北口です。
ホームへの地下通路入口は木造の屋根でちょっとレトロな雰囲気です。
常磐線の複線と東北本線の複々線をくぐる長い地下通路の先に山手線・京浜東北線のホームがあります。
ホームは山手線側だけにホームドアが設置されています。
常磐線快速電車です。
特急です。
40年前には近郊型電車や特急、急行が次々とやってきたのでしょう。
タキ1000-1005です。1000番台の車番を初めてみました。荷重45トン・実容積61.6立方メートルはタキ1000全車共通だと思いますが、自重標記は16.6から17.3トンまで見た事があります。メーカーや生産時期による違い、製造時の誤差があるのでしょう。
Wikipediaで調べて見ると、製造開始の1993年以来、日本車両と川崎重工業(川崎車両)の2社で2021年11月現在、1008両が製造されたそうです。
高輪ゲートウェイ駅です。贅沢な空間の使い方をしています。コンコース階に床を作れば、ちょっとしたステーション・モールが出来そうです。
品川駅港南口方向を見たところです。
東京駅側から田町駅まで方向別で走って来た山手線と京浜東北線は、高輪ゲートウェイ駅では路線別ホームになっていました。
東十条(ひがしじゅうじょう)駅南口です。昭和30年代風駅舎という感じです。
駅から東側の北区東十条は標高4-5メートル、それに対して駅西側の北区中十条は標高20メートル前後あります。その間を結ぶ橋に面して、橋上駅舎が建てられています。
王子方から北行き電車が到着するところです。標高8メートルです。
中十条側から駅方向を見たところです。ここが武蔵野台地の東端になるそうです。右手に見える小さな地蔵堂は、東十条駅開設時に橋が設置されたり道路が拡幅された際に、今の場所に移転されたそうです。
車道も歩道も相当古そうなスタイルです。
東北新幹線の高架下辺りから東十条方向を見たところです。マンションが立ち並んでいます。
元電車区の検修庫跡です。建物は完全に撤去されていました。
レールや車止めはまだ残っていました。
一番外側の側線は残っていますが、使われていない様です。
北口まで歩いて来ました。北口自由通路の東側入口です。中に階段とエレベーターがあります。
出入口正面の賑やかそうな商店街です。
自由通路から電車区跡を見たところです。右側の側線5本と真ん中の元洗浄線2本はいまも留置線として使われている様です。
京浜東北線の駅は、中線が両面ホームになっている2面3線です。その脇を東北本線の複線と貨物線(湘南新宿ライン)の複線が走っています。
自由通路西側です。階段の真ん中は左側にあるエレベーターからの通路です。
階段から駅側を見たところです。
東十条駅から200メートル少々赤羽寄りにある環七の陸橋まで歩いて行きました。
京浜東北線から留置線への入口部分です。
赤羽寄りの引き上げ線です。新幹線高架橋の影響か、緩いSカーブを描いています。
東大宮に向けて回送中のE261系サフィールが通りました。
貨物列車も通ります。
次々と電車が来ます。頭の中で115系や103系、特急電車や寝台客車を思い浮かべてみます。
あじさいです。
赤羽駅まで歩いて行きました。
引き上げ線の終端部です。地図で見ると途中で1線になって、環七の下から500メートル位先まで伸びていました。