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2024年11月21日木曜日

小出-入広瀬(只見線)車窓 夏

 小出-入広瀬間の車窓です。小出駅を出た列車はさっそく魚野川を渡ります。この辺りの標高は90メートル弱位です。

国道17号線と関越自動車道を過ぎてしばらく行くと車窓に田んぼが広がります。

えちごツーデーパス2日目、天気予報は曇りだったので只見線乗車はパスして土樽、石打辺りに向かう事も考えていましたが、天気もまずまずで良かったと思います。

藪神駅です。夏ですが窓に雪囲いの板が取り付けられていました。板を嵌める為に壁に取り付ける金具は”座付貫抜受け”とか、その形から”十手金物”とも言うそうです。

商工会館前の手を振るキハ110人形は健在でしたが、手は振っていなかった気がします。

田んぼの向こうには破間川が流れています。その向こう側の国道252号線沿いの家々が見えます。

列車は左に大きくカーブすると破間川の左岸から右岸に渡ります。

窓の開かないキハ110の窓ガラスには時々室内灯が映り込みます。ピントもいまいちです。

良い天気です。この辺りは標高120メートル位です。

越後広瀬です。周辺の駅でここだけが開業時の駅舎が残っていますが、切り詰め改装されています。

破間川の支流、和田川を渡る国道252号線が見えます。

列車は更に進みます。この辺りは引き続き標高120~125メートル位です。

高台の上に家々が見えてくると間もなく魚沼田中です。

ここも窓に雪囲いの板が付けられていました。

更に進むと、この辺りで標高150メートルを超えます。

越後須原です。ちょっとぼやけた写真です。

越後須原から上条にかけては、2004年に合併して魚沼市になるまで守門村だったそうです。

今度は破間川の右岸から左岸に渡ります。

この辺りで標高175メートル位です。

すこしずつ平地が狭まってくる感じです。

車窓からは見えませんが破間川は谷間を蛇行しています。

上条駅です。標高190メートルを超えています。この駅も窓に雪囲いの板が付いていました。

只見線は破間川左岸を標高約220メートルの入広瀬に向かって更に登って行きます。

破間川と対岸の集落の間にも結構高低差があります。

ところで天気がちょっと今ひとつになって来ました。

元々曇りの天気予報だったので、晴れ間よりも太陽が雲に隠れる割合が増えてきました。

まもなく入広瀬に到着します。


2024年11月14日木曜日

入広瀬駅(只見線)

 入広瀬駅です。1988年に建てられた”雪国観光会館”との合築駅舎です。

夏期の土休日のみ午前中に運転されていた只見行き普通列車です。

通常だと小出発の上り列車は朝5時台の後は昼13時過ぎまでないのですが、観光客向けに9時台に運転されていました。

天気予報は終日曇りでしたが、時折日が差したり曇ったりです。

朱色5号一色塗りはキハ110にもよく似合います。

時代はハイブリッド車や電気式ディーゼルカーの時代ですが、液体式ディーゼルカーがエンジンを唸らせながらゆっくりと加速して行く様はとても魅力的です。

次の大白川まで3.2kmの所要時間は10分でした。

かつては交換可能駅だったそうですが、保守車両用に残されている側線はホームから離れた場所に引き直されています。

側線の終端側には小さな車庫がありました。

車庫の中には雪かき用の保守車両が格納されていました。

本線の向こう側には格好の良い詰所があります。

その右手にある”手仕事手ほどき館”です。各種体験・宿泊の出来る江戸末期の国登録有形文化財だそうです。

駅名標と待合室です。向こうに見える山にはずいぶん高い場所に落石除けがあります。理由があって設置されているのでしょうが、さぞかし作るのに苦労したのではないでしょうか。

ホームに上がるスロープです。

ホーム待合室があります。

小出-大白川間が開業した昭和17年(1942年)からの建物です。

恰好の良い待合室です。

上条・小出方向を見たところです。

改築前の木造駅舎は越後広瀬、入広瀬、大白川共にほぼ同じデザインでしたが、越後広瀬と大白川は入り口が建物正面右側、入広瀬だけが左右を反転した、入り口が建物正面左側にある設計でした。

雪国観光会館は2階建てです。マピオン地図によれば駅の標高は221メートルです。

鉄道関連の展示物もいろいろありました。

正面入口を出たところです。遠くの正方形の建物は”野山の幸資料館”で、食べられる山野草や山菜に関する展示があるそうです。

先ほどの只見行きと大白川で交換して来た小出行きがやってきました。

会津若松を朝一番に出て来た列車です。