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2024年11月22日金曜日

戸田公園駅(埼京線)

 戸田公園(とだこうえん)駅西口です。

ロータリーに国際興業バスが停まっています。

正方形っぽいコンクリート打ち放しの交番がありました。

こちらは東口です。狭い駅前です。

蕨駅行きのバスが停まっていました。

埼京線は通過線の内側に島式ホーム1面2線の副本線(停車線)があります。

武蔵浦和方向です。

70-000形の読み方は「ななまんがた」でした。後継車の71-000形「ななまんいっせんがた」が2025年後半から2027年に導入される事が決まっているそうです。

埼京線205系のラインカラーは緑15号です。常磐線のラインカラー青緑1号との違いがよくわからなかったのですが、常磐線E231系の帯がツートンになったのはそのせいでしょうか。

遠くに見える巨大な塔は、調べてみたら板橋清掃工場の煙突でした。戸田公園駅から荒川を渡って約2km先の高島平近く、高さ130メートルです。

時折、新幹線が通ります。

数年かけて防音対策を施した結果、2021年3月に上野ー大宮間の最高速度は110km/hから130km/hに引き上げられたそうです。

品川-新横浜間は200km/hだそうなので、何の根拠もありませんが、まだもう少しいけるかなという感じです。(ちなみに東京-品川は100km/hだそうです。)

武蔵浦和行きの電車が来ました。


2024年11月19日火曜日

江戸川台駅(東武野田線)

 江戸川台(えどがわだい)駅東口です。1985年に橋上駅舎化されました。

駅前ロータリーにはたくさんの木が植えられています。

お祭りの準備でしょう。櫓が組まれています。

商店街です。右側のビルは解体中です。東口再整備事業が行われているそうです。

自由通路から東の方にガスタンクが見えます。

西口です。駅ビル3階にはビドフランスが入っていますが、1階はなにもなさそうです。

大きなケヤキの木が並んでいます。

右手にあるタクシー乗り場です。

運河・野田・春日部・大宮方向です。

初石・柏方向です。駅の東側・西側共に大規模な自転車置き場があります。江戸川台駅の乗車人員は隣の初石・運河両駅よりも多い様です。


2024年11月14日木曜日

入広瀬駅(只見線)

 入広瀬駅です。1988年に建てられた”雪国観光会館”との合築駅舎です。

夏期の土休日のみ午前中に運転されていた只見行き普通列車です。

通常だと小出発の上り列車は朝5時台の後は昼13時過ぎまでないのですが、観光客向けに9時台に運転されていました。

天気予報は終日曇りでしたが、時折日が差したり曇ったりです。

朱色5号一色塗りはキハ110にもよく似合います。

時代はハイブリッド車や電気式ディーゼルカーの時代ですが、液体式ディーゼルカーがエンジンを唸らせながらゆっくりと加速して行く様はとても魅力的です。

次の大白川まで3.2kmの所要時間は10分でした。

かつては交換可能駅だったそうですが、保守車両用に残されている側線はホームから離れた場所に引き直されています。

側線の終端側には小さな車庫がありました。

車庫の中には雪かき用の保守車両が格納されていました。

本線の向こう側には格好の良い詰所があります。

その右手にある”手仕事手ほどき館”です。各種体験・宿泊の出来る江戸末期の国登録有形文化財だそうです。

駅名標と待合室です。向こうに見える山にはずいぶん高い場所に落石除けがあります。理由があって設置されているのでしょうが、さぞかし作るのに苦労したのではないでしょうか。

ホームに上がるスロープです。

ホーム待合室があります。

小出-大白川間が開業した昭和17年(1942年)からの建物です。

恰好の良い待合室です。

上条・小出方向を見たところです。

改築前の木造駅舎は越後広瀬、入広瀬、大白川共にほぼ同じデザインでしたが、越後広瀬と大白川は入り口が建物正面右側、入広瀬だけが左右を反転した、入り口が建物正面左側にある設計でした。

雪国観光会館は2階建てです。マピオン地図によれば駅の標高は221メートルです。

鉄道関連の展示物もいろいろありました。

正面入口を出たところです。遠くの正方形の建物は”野山の幸資料館”で、食べられる山野草や山菜に関する展示があるそうです。

先ほどの只見行きと大白川で交換して来た小出行きがやってきました。

会津若松を朝一番に出て来た列車です。



2024年10月25日金曜日

三河東郷駅(飯田線)

 新城から本長篠に向かって3駅目、三河東郷(みかわとうごう)駅です。標高は66メートルでした。駅舎前面の縦横に組まれた丸太は、長篠の戦いで織田信長が考案した馬防柵をデザインしたものだそうです。

島式ホーム1面2線の駅です。”三河東郷駅”で画像検索すると、似たようなアングルで流電クモハ52同志が交換する貴重な画像を拝見する事が出来ます。ホームが狭いので、他に撮り様がありません。

大海・本長篠方向です。飯田線南部には、アングルと帯材をリベットで組んだ豊川鉄道時代からの古い架線柱が沢山残っています。

日中午後の飯田線は豊橋ー豊川間が1時間当り4往復。その先新城までは2往復、更に先の本長篠までは1時間に1往復です。下り電車が先に出発して行きました。

駅舎には構内踏切を通って行きます。上り電車出発まで少し時間があります。

茶臼山・新城寄りポイントの下り側分岐は急角度で25km/h制限でした。

クモハ313の青空に浮かぶパンタグラフが良い感じです。

元々は豊川鉄道の川路駅と言ったのが、国有化の際に伊奈電気鉄道にも川路駅があったのでこちらが三河東郷駅に改称されたそうです。駅からすぐの豊鉄バスの停留所名は今でも「川路(三河東郷駅)」です。

近代的なタイプ(と言っても数十年経っていると思いますが)の狭くて短いホーム上屋です。

2006年~2007年に建て替えられた駅舎です。

奇抜でない、駅らしくて好ましいデザインです。

駅前にはログハウス風のトイレがあります。新城病院前からこの後、太海駅前、本長篠駅駅前を通って田口に向かうバスが来ました。豊橋鉄道田口線が全廃されたのは1968年の事でした。