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2026年6月9日火曜日

鶴居駅(播但線)

 鶴居(つるい)駅、所在地は兵庫県神崎郡市川町鶴居、海抜106メートルです。

駅前右側には恰好の良い木造のきれいなトイレがありました。

駅舎側1番線を本線にした1線スルー方式です。

新野・寺前方向です。

2番線のホーム上屋です。

待合室の向こうには農地が広がっていました。

福崎・姫路方向です。

駅正面の道です。

駅で保険証を忘れたとかなんとかで、ホームでじいちゃんがおばちゃんから大声でこっ酷く叱られていました。

1894年開業時からの播但鉄道タイプの駅舎で下見板張りの外壁が良い感じです。2024年現在、香呂駅と共に兵庫県最古の駅舎です。

福崎方の踏切にて、下りはまかぜを撮りそこねました。


2026年6月3日水曜日

寺前ー生野(播但線)キハ41

寺前付近では播但線の西側を走る兵庫県道404号長谷市川線と39号一宮生野線を通り、生野に向かいます。

寺前から1km程北に行ったところで、線路の東側に行って上り列車の写真を撮ることにしました。

寺前行きディーゼルカーが来ます。

線路脇の小さな木に被られました。

異形のキハ40系気動車キハ41です。初めて見ました。

1998年から1999年にかけて両運転台化改造を受けてからもう25年経ちます。

県道に戻り、先にすすみます。やがて長谷駅を過ぎ、播但線の線路の下をくぐって、しばらく行ったところです。

まだ下り列車が来るのに少し時間があるのでもう少し先に行く事にしました。

下垣内踏切です。

長谷方向です。

生野方向です。

市川支流の栃原川が市川に合流する手前にある鉄橋が見えます。ここで写真を撮る事にしました。

ススキの向こうからキハ41がやってきました。

通り過ぎて行きます。

150メートル程生野寄りに進んだところにある真名谷踏切です。1959年、C54逆機回送運転中に生野トンネル内で煙にまかれて乗務員の方が窒息し、生野駅からの下り勾配をそのまま走り続けた列車がこの辺りで脱線転覆事故した事故があり、近くに弔魂碑があるそうです。ご冥福をお祈り致します。

更に2km程進んだところにある下市川橋りょうです。生野駅までもう少しです。


2026年5月28日木曜日

寺前駅(播但線)午前

 寺前駅です。午前中は光線の加減で駅の写真が撮りづらい時間帯です。(結局、この日の午後に和田山からディーゼルカー乗車を楽しみながらもう一度来ました。)

電化区間と非電化区間の乗り継ぎ駅でみどりの窓口があります。

特急列車はすべて駅舎寄りの3番線に停車します。

うみやまむすび号です。この車両は翌朝の寺前発城崎温泉行きの運用に入っていました。

1998年播但線電化時に、改造から40年使える40N体質改善工事を行った103系3500番台です。全電動車ですが、お金をかけて改造したのでまだまだ使用されるのかもしれません。

改造で少し雰囲気は変わっていますが、103系電車とキハ40ディーゼルカーが見られる寺前駅はなかなか良い感じです。


2026年5月21日木曜日

新井駅(播但線)

 新井(にい)駅、所在地は兵庫県朝来市新井です。旧朝来郡朝来町の玄関駅ですが、2024年の1日の乗車人員は104人だそうです。

1901年(明治34年)播但鉄道生野から当駅までの延伸時に終着駅として開業。山陽鉄道を経て1906年に国有化されました。駅舎と1番乗り場の上屋は開業時からのものだそうです。

今は2面2線の駅ですが、1957年までは養父市の明延鉱山の選鉱所、神子畑選鉱所と当駅の間に鉱山鉄道が引かれていたそうです。

懐かしい駅の風景~線路配線図とともにブログを拝見すると、貨物を扱っていた当時は和田山方に貨物側線があった他、写真を撮っている位置にやや変則的な専用線ホームがあり、3番線とその外側の側線は貨車留置用に使用されて、10トン貨車移動機が入換を行っていた様です。

駅入口です。標高69メートルの和田山から13.8kmの間に83メートル登って、新井は標高152メートルです。

標高306メートルの次の生野までは8.3kmの間に一気に154メートル登ります。

和田山方にある中川原踏切です。中川原はこの辺りの字名です。

駅方向です。

竹田・和田山方向です。


2026年5月14日木曜日

生野駅(播但線)

 生野(いくの)駅、所在地は兵庫県朝来市生野町口銀谷です。元々の駅はこちらです。1895年(明治28年)の播但鉄道長谷駅からの延伸時に終着駅として開業しました。東口の現駅舎は1960年(昭和35年)築の、いかにも昭和30年代という鉄筋コンクリート駅舎です。

駅に向かって右手の建物は駅前旅館だったと思われます。ところで生野というと百人一首の「大江山 生野の道の 遠ければ...」という句を思い出しますが、そちらの生野は今の福知山市にあり、”生野”違いです。

駅正面の道です。生野には戦国時代から1973年に閉山されるまで日本有数の銀山がありました。

駅に向かって左側のこの建物も旅館だった雰囲気です。

駅構内を見たところです。青く塗られた古い跨線橋に白地で書かれた”いくの 生野 IKUNO”の駅名標が良い感じです。

右側通行で有名な生野駅です。こちら側1番線ホームが新井・和田山方面です。構内は大きくカーブしています。

長谷駅寄りの第三構内踏切です。

かつては中線があり、貨車の留置等に使われていた様です。

長谷・寺前方向です。

1952年に設置されたという鉄骨木造の跨線橋は2021年にJR西日本が撤去を検討したそうですが、地元の反対もあってか、2024年11月現在では残っていました。

2009年に設置された西口駅舎です。

西口は駅前整備と共に2009年に新設されたものです。

朝来市観光情報センターの看板が掲げられています。

こちら側2番線が寺前・姫路方向です。

新井方にある歩行者用踏切です。

駅方向です。駅の標高は海抜306メートルです。

新井方の生野トンネル辺りが和田山方の円山川と姫路方の市川の分水嶺です。生野トンネルから生野駅直前まで上り勾配で走って来た蒸気機関車が、左分岐の速度制限を受けるとホームまで辿り着けないのが、生野駅が右側通行になった理由だそうです。画面右手の平坦な部分に引き上げ線があって貨物列車が待機していたりしたそうです。

踏切を渡った先は狭い道でした。

駅の周りを一回りして東口駅舎に戻ってきました。