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2023年9月1日金曜日

荒野台駅(鹿島臨海鉄道大洗鹿島線)

 荒野台(こうやだい)駅です。標高35メートル、所在地は鹿嶋市大字荒野です。

水戸行きディーゼルカーが出発して行きました。

1面1線のホームに屋根がついているだけの駅ですが、シンプルで良い感じです。

駅前に大木がありました。

駅裏手は道路が走っているだけです。

駅前には自転車置き場とトイレがありました。

先程の水戸行きと鹿島大野で交換して来た鹿島神宮行きが間もなく到着する時間です。

ディーゼルカーが見えて来ました。

緑のトンネルをくぐります。

ゆっくりゆっくりと近づいてきます。

ガルパンラッピング車を先頭にした2両編成でした。


2023年7月28日金曜日

荒野台-鹿島神宮(鹿島臨海鉄道大洗鹿島線)前面展望

 鹿島臨海鉄道の荒野台から鹿島神宮までの前面展望です。天気がいまひとつでちょっとボケた画像が多めです。

6000形ディーゼルカーの運転席は片隅式です。ワンマン運転用の運賃箱が設置されています。

客室はセミクロスシートで、転換式クロスシートを装備しています。

この辺りは鹿島灘の海岸線から1.5km以上離れた海抜35メートル前後の場所をほぼ一直線に走っています。

2.9kmで鹿島サッカースタジアム駅です。本線上の最後のポイントから30メートル位の地点まで架線が張られています。鹿島臨海鉄道大洗鹿島線とJR鹿島線の分界点がどこにあるのか良く分かりませんでした。

鹿島神宮行き本線は分岐の左側に進んで行きます。

途中から側線が左に分かれています。水戸方面行き本線の右側にも側線がありますが、そちらは普段、使用されていない様です。

左への分岐は2本に分かれていて「鹿島サッカースタジアム 貨物列車」で画像検索するとJRと鹿島臨海鉄道の貨物列車受け渡しの様子を見る事が出来ます。

鹿島神宮方面行き本線と水戸方面行き本線の間に島式ホームがありますが、普段はすべての列車が通過します。

サッカー開催日のみ、開催時間に合わせて普通列車が臨時停車します。東京オリンピックの際には臨時列車も運転されていた様です。

左に進むと鹿島臨海鉄道鹿島臨港線、右がJR鹿島線です。

この先は今から45年位前に鹿島神宮から鹿島港南までの列車に乗った事があるのですが、辺りの風景は全く覚えていません。

まもなく国道51号線の下をくぐるトンネルになります。

今度は国道124号線の下をトンネルで抜けます。

そのトンネルを抜けるとその先、線路がやや右にカーブします。

鹿島神宮駅に繋がる高架橋が見えて来ました。

場内信号機があります。

鹿島サッカースタジアムから3.2kmで鹿島神宮に着きました。

大洗鹿島線列車の折り返しはこちら側の1番線、JR鹿島線佐原方面行きは反対側の2番線です。

乗って来た車両は平成元年製の6011号車です。

ガールズ&パンツァーラッピング車ですが、現存する他の2両と一緒に今年、検査塗り替えの為に引退するそうです。

2両目はノーマル車の6010号車です。

大洗鹿島線で来てここから高速バスに乗り換える乗客もいるのかも知れません。

駅の裏手に回ってみました。

こちら側には出入口はありません。



2023年7月9日日曜日

水戸駅8番線(鹿島臨海鉄道大洗鹿島線)6000形・8000形

 数年前の水戸駅です。

1985年から1993年まで生産され、一番新しい車両でも製造から30年経ちます。

2016年から新潟トランシスで7両が製造されました。

関東鉄道の気動車によく似ていると思ったら、キハ5000形に準ずる車体との事です。民鉄の気動車新製はそれほどないので、ある程度、共通した設計になるのでしょう。

ブレーキ系統が異なるので6000形とは併結出来ないそうです。

1995年から1997年にかけて登場したE501系電車です。小山-小田林間の交直セクションで故障が頻発し水戸線から撤退。現在は水戸-いわき間(回送で草野まで)の運用に限られているそうです。


2019年7月6日土曜日

鹿島神宮駅(鹿島臨海鉄道)キハ1001

鹿島神宮駅です。113系と153系電車が写っています。クハ153は低運転台タイプでした。

ヘッドライトが白熱灯1灯なので、鹿島臨海鉄道キハ1001です。塗装がきれいですので、おそらくまだ走り始めてそれほど経っていない1978年か1979年です。成田空港燃料輸送の見返りとして1983年までの5年間だけ、鹿島港南と鹿島神宮の間で運転されていました。

鹿島港南駅まで乗りました。

キハ1001は先の貨物駅まで行ってから折り返して来ました。おそらく車庫のある神栖駅まで回送されたのだと思います。運転は朝昼夕の3往復、鹿島港南を起点に鹿島神宮で折り返すダイヤだった様なので、いったいこの後どうやって帰ったのか、全く覚えていませんでしたが、良く考えてみるとバスで銚子まで行って、銚子電気鉄道を訪れた様です。

ちなみにまだこのキハ1001は佐原近辺のつり堀に保存されているそうです。